tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第23話 時の流れ

               1974年2月17日 日曜

 期末テストが、来週の2月25日から26日の日程で行われる。2学期の定期テストは満足のいく結果だったから、ここはもうひと頑張りしておきたい。失点を最小限に抑えて、何としても年間総合ランク5を獲得しよう。こうなったのも、昨年11月の買占め騒動に始まったことで、少年の母親が気変わりをして、約束を反故にしたからだった。その背景には、先行きの見えない日本経済を目の当たりにした国民が、消費行動を極端に抑えてしまったことがある。

 2学期の定期テストが終わった頃、少年の母親はこう言った。「あなたもテレビや新聞を見て知っているでしょう?今は生活用品を買うだけでも大変なんだから・・・贅沢品を買う家庭なんてある筈がないわよ。だから我慢しないとね」

『夏休みの読書ノルマはクリアしていた。あとは2学期の成績でランク5を取れば、ギターが手に入るはずだった。しかし、どうやら彼女は延期を決めこんだようだった。でも、大切な約束を簡単に覆してしまうやり方は乱暴過ぎる。それに、定期テスト後に話を切り出すところなど、悪質そのものだと思う。褒美をちらつかせて人を奮起させる、“鼻先に人参作戦”が大好きなのは構わないけれど、偽物の褒美をちらつかされてはたまったものではない。しかしそうは言っても、彼女がひとたび口にしたことを、改めさせるなど至難の業に近い』

「じゃあ、3学期の成績次第ってこと?だったら百歩譲って、次回もランク5を達成すれば約束を守ってもらうよ? いいね、必ず約束だよ!」

「そういうことになるかも知れないし、ならないかも知れない。こればかりは景気次第だから、私には分からない・・・」

「どうしてそんなことを言うのかな。はっきり約束してよ!」

「何を言うの?家族の生活が最優先でしょうが!あなたのことばかり構ってなんかいられないのよ! それに、そんなに文句があるんだったら、田中さんに電話をして『景気を良くしてください』ってお願いすればいいじゃない」

「田中さんってどこの誰のことなんだよ?」

「まったく!あなたって人は何も知らない子だね。田中さんと言えば日本の総理大臣のことでしょうが。 田中角栄さんよ!」

 彼女は、機嫌の良し悪しで人に対する接し方大きく違う。いわゆる『気分屋』だと思う。機嫌が悪いと、訳の分からない事を言い出したり、道理の通らない理屈を平気で繰り出す。そうなれば、取り付く島もなく、まったくのお手上げ状態になってしまう。 おそらく今の彼女は、消費マインドが冷え込んでいるだろう。それどころか、氷河期に入っているだろうから、何を言っても無駄でしかない。

 年は明けて1974年、今日は2月17日。僕が中学生の時に学んだ近現代史によると、1973年に発生した石油ショックの煽りで、翌年は大きな余波が襲うことになる。その結果、1年で物価は23%上昇する。だから、彼女が財布のひもを締めようとするのは正解ではある。ただし、それと僕との約束は別物だと言いたい。そうであっても、今の僕は少年の母親を信じて、彼女の信頼を得る為にも頑張り続けるほかに道はない。

 世間では様々な節電の取り組みが始まっていた。ネオンサインの早期消灯。飲食店や映画館、デパート、スーパーの営業時間短縮。最終列車の繰り上げ。他にも、大型商業施設のエスカレーター運転中止。テレビ深夜放送の休止にまで至る。また、紙資源の不足で週刊誌や漫画の頁数が大きく削減された。文字は小さくなり、かつ頁内に多く収めるために行数が増やされた。このような状況は、あと少なくとも2年は続くことになるだろう。しかし、初めのうちは不便に感じても、時間の経過とともにそれが当たり前となる。やがては何事もなかったかのように、終息を迎えるのが世の常ではないだろうか。

 今日は日曜日だけれど、テストを1週間後に控えている。どこにも出かけずにテスト勉強に集中しようと思う。ところが今の僕は、机に座れば 『あれこれ思いめぐらす作業』 に入り込んでしまう。この悪い癖には自分なりの理由がある。1970年代にタイムリープして以来、整理すべき情報が増加したからだった。例えば跳躍した過去の世界では、初めて見聞きする事柄が次々に起こる。それを、元の世界で得ていた知識や経験に当てはめて考える。こうして推測したものも含めて経験則に加える。このような日々の作業が、今の僕には大切なルーティンになっているからだった。

 朝からFMラジオを聞き流しながら、あれこれと思いめぐらす。僕がこの世界にやって来てどれだけ時間が経過しただろう? 他人の身体を借りて生活をスタートさせたのは、去年の6月29日で、今日で234日が経過した。7ヵ月と19日ということは0.6年ほど年を取ったことになる。

 時間とは時の流れの2点間の長さになる。僕の住んでいた2043年に戻るまでは、物理的時間でいうと、あと69.4年を必要とする。時間とは、一定の速度で流れるもの。でも、到達するまでの残り時間が余りにも大きいと、時計の針が中々進まないと思ってしまう。

 僕はなんて遠い世界を、何の為に目指しているのだろうかと、考え込んでしまう。 単に、そうするしかないから、というのが答えなのだと思う。もしかすると、24歳の僕が住んでいた、あの懐かしい世界が恋しいだけなのかもしれない。では、自分を納得させる意志や動機、使命感といったものはどうなのだろう?これまでに動機は幾つも浮かんできたが、どれもが漠然としたもので、決め手に欠けている。

 手漕ぎの小さなボートに乗って、『悠久の時』という河の流れに漕ぎ出すのはかまわない。ところが、いつ嵐が襲ってきて転覆してしまうとも限らない。そうならない為にも、動機は大切なような気がする。突き動かすだけのものさえあれば、2043年という島影はいずれ見えて来るのではないだろうか。それがどのようなプロセスで達成されるにせよ、ゴールを目指すチャンスはいつか訪れて、やがて知恵と努力で勝ち取ることができるのだと信じたい。

 この頃は、少年の父親に頼んで、市立図書館で本を借りてきてもらうことが多くなった。希望するジャンルや “〇〇のようなもの” とリクエストするだけで、彼は図書館の書架から的確に探し出してきてくれる。最近では心理学に興味が湧いてきて、フロイト※(注13) やユング※(注14)といった、心理学者の著作物を好んで読むようになった。

 時間の概念は、宗教や哲学、物理学で言えばニュートン力学相対性理論など、様々な分野でアプローチされてきた。心理学においても同様で、そして興味深い話もある。 例えば“時間の速さ”についての心理的時間の考察は面白い。代表的なものに“ジャネの法則”※(注15)というのがある。

 この法則は、生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢に反比例するというもの。人が感じる時間の速さは年齢で変化すると言っている。なぜ年齢を重ねると時間が早く過ぎると感じるのか?それは、動作や思考する速さ、単位時間当たりの作業量が低下することが主な原因になっている。例えば、10分で歩いていた道が、齢を重ねることで20分かかるようになると、時間が2倍速く過ぎるように感じる。つまり相対的に時間が速く過ぎたように感じるということ。

 50歳の人間は、1年の長さが人生の50分の1で、5歳の人間だと5分の1に相当する。 そうすると、5歳の1年間は、50歳の人間だと10年間になる。では5歳の1日はというと、50歳の10日に相当するといえる。

 そうだとすれば、タイムリーパーや、タイムループに閉じ込められた人間が500歳になると、彼らは、5歳の1日が100日分に相当する。言い換えれば、5歳児の100倍も時間が早く過ぎてしまうことになる。こんなことになれば、人生に退屈している暇など無いだろう。彼らは、幾ら時間があっても足りないという、負のスパイラルに苛まれ(さいなまれ)続けるのだろうか?

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※(注13)ジークムント・フロイト(1856年–1939年)は、オーストリアの心理学者で精神科医神経症研究、自由連想法、無意識研究を行った。精神分析学の創始者

※(注14)カール・グスタフユング(1875年–1961年)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。

※(注15)ジャネの法則は、19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネが発案して、甥の心理学者、ピエール・ジャネが著した法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者では長く、年長者では短く評価されるという現象を心理学的に説明している。