tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第24話 新学年

               1974年4月11日 木曜

 4月から新学年が始まって、僕は2年生になった。クラスは1年4組から2年1組になり、これまで学んでいた教室から、別の校舎へと移った。クラスメートも半数以上が入れ替わって、学級担任や教科担任の顔ぶれも一新されている。 

 このように、新学年になると様々なことが変化した。残念だったのは、眺めの良かった鉄筋校舎3階から、1階の味気ないプレハブ教室に移動したこと。それから、お世話になった野々村先生が他校に転勤されたことだった。このことは寂しくもあり、時の流れを感じる出来事でもあった。

 新しい学級担任は、英語教師の仲島先生という。彼は他校からの転勤で、4月に着任した先生達の1人だった。先生は、独特なキャラクターを備えていて、時に思いもよらない行動をとることがある。何よりも、細身のスーツにハリウッドスターのような濃いサングラス姿が、中学校という学び舎では、なにかしら違和感を覚える。そして、英語教師だから当然と言えなくもないけれど、かなりアメリカにかぶれている。そんな、ナルシストでもある彼は、常に自分の立ち居振る舞いを気にする人だった。

 プレハブ作りの仮設教室は断熱性が低い。鉄筋校舎に比べると、夏はより暑く、冬はより寒いと聞く。しかも、出入口の引き戸は建付けが悪い。開け閉めには多少の要領が必要だし、その度に発生するきしむ音にも我慢しなければならない。

 昨日、英語授業が始まろうとした時だった。ミスター仲島は職員室を出て1組の教室までやってくると、右手で引き戸を引いた。ところが何度やっても戸は開こうとしない。すると彼は左脇に抱えていた教材類を、渡り廊下にある下駄箱の上に置いた。そして今度は、両手で力任せに引っ張ろうとした。それでも、きしむ音はしても、戸は僅かしか動かない。

 クラス全員の視線が、いっせいに彼に向けられた。窓越しに、トンボサングラスの先生が、孤軍奮闘している様子がはっきり見える。誰一人として席を立つ者はなく、教室右前方で行われているパントマイムを、冷めた目で見つめ続ける。

 らちが明かないことをようやく悟ったミスター仲島は、職員室に向かって歩き出して行った。生徒達に、『誰か開けてくれ!』 と言えばそれで解決するだろう。それに、前がダメなら教室後方の、おそらく簡単に開くであろう戸から入れば良い。それでも、『教師たるもの、教室には前の扉から入るべし!』 という、彼なりのポリシーなのかも知れない。

 引き戸に近い席に座る瀬戸内くんが、戸の具合を見ようと立ち上がると、大声で叫んだ。 

「何だよ、ほうきの柄がレールに挟まってるじゃないか!」

 瀬戸内くんがほうきの柄を取り除くと、戸は簡単に開いた。それから5分ほど経った頃に、ミスター仲島は教室まで戻ってきた。彼は下駄箱の上にある教材類を手に取り、何事もなかったかのように教壇に立った。

 ほうきの柄が偶然挟まったのか、それとも故意に置かれたのかは、誰にも分からなかった。それにしても、ミスター仲島の一連の動きは何だったのだろう。想像するに、お笑いのようなコントを演じた後、彼はお手洗いに行った。急いで振りみだした髪をセットする。そして、満足するまで身なりを整えると、改めて教室へ向かったのだろう。 もちろんナルシストである彼は、犯人捜しをすることもなく、恥をかいて不機嫌になることもなかった。

 そして今日も英語授業が4時間目にある。ミスター仲島が教室へやってくるのが窓越しに見えた。今日の彼は、左脇に教材を抱えてラジカセを右肩に担いでいた。アメリカでは電化製品などを肩に担いで歩くことがあると聞くけれど、これがそうなのだろうか? 江戸風に表現すれば、これを“粋でいなせな姿”と言うのかも知れない。瀬戸内くんは、先生の気配を感じ取って、彼が到着するのに合わせて引き戸を開いて教室へ迎え入れた。

 ミスター仲島は、黒板の左横にある教師用の机にラジカセを置いて、電源コードをコンセントに挿すと授業を開始した。 

「ところで、君たちは流行歌が大好きだろう?普段から好きな曲を聴いていると思う。 しかし、洋楽を聴く時には注意して欲しいことがある。それは、正しい発音をしないで歌う歌手がいるということだ」

『正しい発音? イントネーションやアクセントの違いのことかな?日本にも地域によって方言や訛りがあるように、英語圏でも様々な方言があって、国や地域差があるってことだ。それに、発音に加えて俗語やスラングも多い。これも個性だと解釈する歌手がいると聞く』

「君たちの中には“ビートルズ”が好きな者も多いだろう。しかし、彼らは労働者階級の出身で、リヴァプール訛りを持っている。堅苦しいイギリス英語に加えて、アクセントが間違っているから、歌詞が聞き取りにくいことがよくある。同じく、イギリスの“ローリング・ストーンズ”に至っては、アメリカ人が聞くと、いったい何を歌っているのか分からないくらいだ」

『なるほど、特にロックの歌詞は、ネイティブ・スピーカーでも歌詞カードが無ければ、全てを聞き取れないという。ましてや、英語力がなければ、リスニングを誤ってしまうこともあるだろう。まあ僕の場合は、翻訳機があるから何ら問題はないけれど。 それに、2030年代になれば、そういったことは全て解消されてしまう。

・・・そもそも、洋楽を聴く時に、大半の人は歌詞を正しく理解しようとは考えない。歌をサウンドの一部として楽しむんだ。ことさら、語学を学ぶために聴いている人は少ないだろう』

「さあ、それではこれを聴いてもらおう。今から流れるのは、カーペンターズの最新曲 『イエスタディ・ワンス・モア』 ※14 だが、これは模範的な正しい発音で歌っている。実に綺麗な英語だから、君たちにはこういう美しい音楽を聴いて英語を学んで欲しい」

 ミスター仲島が、カセットレコーダーのプレイボタンを押すと曲が流れ出した。優しくて魅力的な女性の歌声は、気持ちを落ち着かせてくれて、とてもいい曲だと思う。 さすがアメリカかぶれの彼が一推しする曲だった。対して、僕の好みはイギリス寄りだから、残念ながらこれには賛同できない。今まさにヒットしている、エルトン・ジョンの 『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』 ※13 が、いち推しなんだ。

 午前の授業は終わって、昼休みに入った。昼食を終えた僕は、教室を出て渡り廊下から2階建ての鉄筋校舎へ向かった。この古びた西校舎の玄関に入ると、そこには津々木捜査官が立っていた。

「やぁ、おまたせしました。しかし此処はカビ臭くて薄暗いところだから、なかなか慣れないね」

「そうかな?私はこの古風な歴史的建造物が好きだな。それに今度の教室も居心地が良くて、とても気持ちが落ち着くよ」

「ところで小津真琴は6組になったけど、彼の監視はしっかり出来ている?」

「ああ、それがね、彼は2階奥の教室にいるだろう?私は3組で1階だから、いちいち2階まで顔を出していると、6組の生徒たちが変な目で私を見るんだ。だから頻繁には行けないんだな」

「そうか、そうだよね。だったら早志くんが6組になったから、彼に出来るだけ見張っていてもらおうかな? 話は変わるけど、3組の相川さんは大丈夫だろうか? 小津がちょっかいを出していない?」

「安心してくれ、そこは私がいる限り大丈夫だよ。それよりも、そろそろおとり捜査を開始しようと思っているがどうだろう?」

「そうだね、僕も気になっていたんだ。それで、10日後の日曜日に数人でサイクリングに出掛けようと思っている。そこで僕の考える作戦とは、休み時間に、6組の高木くんと康永くんのところでサイクリングの打合せをするんだ。それとなく小津に聞こえるようにね」

「それはいいアイデアだな。私は君が小津に襲われそうになった時に、どこからともなく格好よく登場するということだな?」

「カッコいいかどうかは別として、僕の安全だけは必ず守ってよ!」

「合点承知之助、大船に乗ったつもりで待っていてくれたまえ!」

・・・・・・・・・この人は、どうしてこんなに古い言葉を使うのだろう?

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※13 『黄昏のレンガ路』 原題 『Goodbye Yellow Brick Road』 は、1973年11月にリリースされたエルトン・ジョンの楽曲。作詞はバーニー・トーピン、作曲はエルトン・ジョン

※14 『イエスタディ・ワンス・モア』はカーペンターズが1973年7月に発表したアルバム『ナウ・アンド・ゼン』(Now & Then)に収録された。日本とイギリスでは最大のヒット曲で、日本だけで100万枚以上のセールスを記録した。アルバムジャケットのアートワークは長岡秀星が手掛けている。


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