tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第29話 夕暮れの演奏会

               1974年6月25日 火曜

 世間では相変わらず様々な節電の取り組みが続いている。僕が困ることはほとんど無いけれど、強いてあげればテレビ放送の休止だった。放送の打ち切りは、深夜の時間帯だけではなくて、日中にまで及んでいた。こうなると、海外ドラマや洋楽番組などの視聴が難しくなっていく。大好きな“宇宙家族ロビンソン”や、“原子力潜水艦シービュー号”だけは続けて欲しかった。

 1年生の学年末テストの結果は好調だったから、年間総合ランク5を獲得できた。少年の母親の条件をクリアしたのだから、今ごろはギターを手にしている筈だった。ところが、いまだに少年の母親との交渉は続いている。物価上昇は相変わらずで、彼女の消費マインドは冷え込んだままだった。

 これでは交渉が決裂したまま時間切れになり、いずれは無かったことになるかも知れない。それを恐れた僕は、思い切った譲歩案を母親に話した。つまり、欲しかった5万4千円のアコースティックギターを、廉価な3万円の商品で妥協するよ、ということだった。

 その甲斐あって、彼女の考えを変えることが出来た。摩耶浩之くんの誕生日である、6月4日をもってその権利を獲得した。そこで、楽器の見識が高い長谷寛人くんから、アドバイスを受けようと考えた。

 昼休みになると、西校舎の階段を上がって2年5組の長谷くんを訪ねた。ギターの予算を伝えると、「だったら、マーチンやギブソンは買えないから、どうしても国産品になるだろうな。ヤマハでも予算的には厳しいから、モリダイラ楽器が扱っている製品にしたらどうだろう?」

「モリダイラ楽器って長野県のギターメーカーだったかな?」

「そうだよ。ほら、ラジオの深夜放送で宣伝しているモーリスのことだよ。アリスの谷村新司が登場する『モーリスのギターを持てばスーパースターも夢じゃない』ってCMが流れているだろう?持ったからといって、スーパースターになる確率は限りなくゼロに近いけどね。でも、この製品はコスパが高いよ・・・・・・君は高校から大学にかけてベースギターを弾いていたと思うけど、今度はギターを始める気かい? だったら、大学時代に僕がアドバイスしていたように、基礎練習を怠らないことだね。毎日弾かないと上達しないよ!」

「そんな未来の出来事を言われてもなぁ・・・それに僕は摩耶浩之くんではないからね―――とにかくギターを頑張ってみるよ」

 この頃の登校風景は以前とは少し違う。男女を問わず、レコードアルバムを学校に持ち込んで、友人に貸し出すという光景があちこちで見られる。レコード盤を収納するのがレコードジャケットで、そこには個性的なデザインが描かれていることが多い。ところが、レコードアルバムは2千円から3千円もする。中学生にしてみると、決して安い買い物ではない。それでも、ジャケットがかっこ良ければ、思い切って買った甲斐があったと思うし、満足感が満たされた。

 一辺が31cmの正方形という絶妙なジャケットサイズだった。絵画を所蔵するように、アーティスティックな存在感がそこには詰まっている。購入者は、収集品としての価値を見いだすと、ジャンルやアーティストの幅を拡げる傾向がある。こうなると、レコード店巡りを繰り返すようになり、ジャケットのデザインに魅了されて買う、“ジャケ買い”という現象が起きる。中身より見た目を優先すると、曲の良さそのものがハズレることがある。それでも、大抵はアタリのほうが多いとも言われている。

 レコード店は、アルバムをレジ袋に入れて購入者に渡してくれる。アルバムサイズにフィットするように加工された厚手のビニール袋に、店独自のロゴやデザインが刷り込んである。友人との貸し借りにはこの袋を利用するから、どこの店で買ったのか、お気に入りのレコード店はどこなのか一目で分かる。この学校では、細江町の“快音堂楽器店”や唐戸町にある“中国電波”という店の袋を見かけることが多い。

 毎朝、正門に向かって坂道を上がっていると、厚手のビニール袋を手に提(さ)げた生徒たちが、あちこちでアーティストの話題で盛り上がっている。最近よく耳にするのは、井上陽水の 『氷の世界』や、 吉田拓郎の 『結婚しようよ』、そして 『神田川』を大ヒットさせた、かぐや姫などのフォーク系だった。あるいは、荒井由美の高い人気は注目に値する。『ひこうき雲』などの、政治性や生活感を排除した“新しい音楽”は、新感覚のポピュラーミュージックだと評価されている。

 サディスティック・ミカ・バンド (※注18)の登場は衝撃的だった。世界に通用する日本のロックバンドと言われるこのバンド名は、ジョン・レノンが結成したプラスティック・オノ・バンドをもじっている。彼らは1973年5月に1stアルバムをリリースした。日本では数千枚程度しか売れなかったが、イギリスで発売されるとロンドンで評判となった。こうして逆輸入されたことで日本でも評価は高まった。更に、クリス・トーマス(※注19)のプロデュ―スによる、2ndアルバムは既に完成していて、後はリリースを待つばかりの状態らしい。発売されれば、この学校でも大きな反響を呼んで、ミカバンドの話題で持ちきりになるのは間違いなかった。

 こうして自然発生的に形成されたコミュニティは、数多くのアルバムを貸し借りしたり、買うべきかどうかを検討できる。これはアナログ的な無料のサブスクリプションと言ってもよい。注意したいのは、借りたレコードは大切に扱って盤面に傷を入れないこと。そして借りっぱなしにならないようにする。貸し借りというギブ・アンド・テイクを心掛けたい。

 放課後になった。今日は部活が休みだから2年4組を覗いてみることにした。そこでは、最近話題になっているライブが始まろうとしていた。それは、4組の十河紀仁(とがわのりひと)くんと、桜坂香くんによるギター演奏だった。

 教室の中央に置かれた2つの机の上で、彼らはギターを抱えて座っている。周りの机と椅子は、教室の隅に移動されている。20名ほどの生徒が二人を囲み、演奏の開始を見守っている。教室にいる生徒たちの期待感がひしひしと伝わってきた。女子生徒の表情は、ファンクラブに入会している熱心なファンのようだった。

 ギターチューニングを終えた2人は、早速カウントを開始してギターストロークに入った。最初の曲は吉田拓郎の『洛陽』だった。まるで本物のような、メリハリの効いたカッティングがカッコ良い。アコースティックギターの音は教室の壁に反響して、心地良く聴こえてくる。2人の息の合った歌と演奏は僕を虜にした。近くで生演奏を見るのは初めてだったけれど、練習を重ねると、こんなにも人の感情を揺さぶることができると知った。

 次に井上陽水の『東へ西へ』が始まった。そして3曲目の『夢の中へ』では、全員で合唱をして演奏会を締めくくった。こうして不定期開催の“夕暮れの演奏会”は閉幕した。教室ライブのインパクトは僕にとって絶大だった。まだ手に入れてもいないアコースティクギターを、人前で演奏している姿を想像しながら帰り道を急いだ。

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※注18 『サディスティック・ミカ・バンド』 は、1972年にデビュー。1974年発表の2ndアルバム『黒船』は、日本のオリジナル・ロックの夜明けにして最高傑作と言われ、英米でも発売された。活動中の1975年にはイギリスでツアーを行っている。同年、加藤和彦・ミカの離婚によりバンドは解散した。解散後は、これまでに桐島かれん木村カエラなどの、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。

※注19 『クリス・トーマス』は、イギリスの音楽プロデューサー。ビートルズピンク・フロイドを手掛けるなど、輝かしい経歴を持つ。エルトン・ジョンとは同級生。 彼は『サディスティック・ミカ・バンド』の1stアルバムを聴いて、2ndアルバムをプロデュースしたいと、東芝EMIに申し出る。紆余曲折の末に、アルバム『黒船』を手掛けてリリースした。このレコーディングには実に450時間が費やされている。