tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第34話 超能力

       1974年8月8日 木曜

 8月5日 月曜深夜 ―― コザ十字路から東南方向へ、バイクで5分ほど走るとアキラの家がある。到着した時は、すでに深夜2時を過ぎていた。クラブなど数件の店舗で張込を続けたけれど、目立った成果はなかった。アキラの部屋に入ってシャワーを浴びると、明日の行動を確認しながら、2人で寝酒を交わした。

 アキラはバーボンウイスキーを好んで飲む。彼の部屋には、テネシー州産のジャックダニエルが何本も置いてあった。明け方まで英語で会話を続けて、僕はそのうち眠りに落ちた。

―――背中や首筋に寝汗を感じて目を開くと、“バタバタバタ”という大きな騒音が上空を通り過ぎて行った。すでに起きていたアキラは、『あれはアメリ海兵隊のヘリコプター“CH-46シーナイト”だよ』 と教えてくれた。壁に掛かる時計に目をやると9時を回っている。急いで簡単な朝食を掻き込んで、玄関の様子を見に行った。そこには、僕のスーツケースが届いているはずだった。昨夜、アキラの家に到着した時、スーツケースを届けてもらう為に、母親役の和子さんに連絡を入れた。もちろん、転送に必要な正確な座標値を伝えておいた。

 着替えを済ませると、バイクの後ろに乗ってコザの中心街に向かった。これから、今夜の潜入捜査先の確認や、部隊の構成員を絞り込むための、路上聞き込みを地道に続けなければならない。小さなヒントも見落とさないように、収集するのが僕の役割だった。

 そうはいってもミッションのメインは潜入捜査だから、夜になれば犯罪者に成りすまして行動する。場合によっては現行犯逮捕もありうる。でも、僕は逮捕する権限がないので、その時はアキラが手錠をかけることになるだろう。捜査のメインは夜だし、日中はできるだけ資料整理などに時間を使って、体力を温存しておきたい。

 お昼は2人で沖縄そは店に入った。そばの他に、沖縄の炊き込みごはんで握ったジューシーを1つ注文した。僕はこの沖縄ならではの、ソウルフードが気に入った。毎日でも食べたいくらいだ。隣に座るアキラを見ると、お茶代わりにビールを飲んでいた。

 僕はアキラに出会った時から聞きたかったことを質問してみた。

「What specific superpowers does Akira have?」

(アキラの持つ超能力って具体的には何なの?)

「Yeah, it’s clairvoyance. It can be useful for work, but it’s not a great ability.」

(そうだな、透視能力だ。仕事に役に立つこともあるが、大した能力ではないよ)

 クリアボヤンス? いやいや、これはもの凄い能力じゃないか!顔を見るだけで、その人の過去の出来事や事件を想像したり、遠く離れている光景を知ることができる。千里眼を持つ彼は、マトリ(麻薬取締捜査官)として、大きな武器を持っていることに他ならない。

 8月7日水曜、早くも沖縄4日目の朝日が昇る。昨夜までに3名の構成員を特定することができた。ところが意に反して、現行犯逮捕するのは待つようにと指示が出た。

 津々木捜査官は慌てた様子で連絡をしてきた。『一斉に逮捕できなければこのミッションは失敗するかも知れない。構成員の特定状況を見て、然るべき時に号令を発するが、現時点の特定者は9名だ。まだ全体の半分強だから、逮捕はもう少し待つように・・・それからトピックを伝えよう。フィリーソウル(※注28)で踊るという、最近流行しはじめた“ディスコ” (※注29)で、真鳥捜査官がお手柄だよ。構成員だと特定した人物の信頼を得て、部隊のアジト(隠れ家)の潜入に成功している。君たちは今後の指示に従い、独断専行の行動は慎むように』 とのことだった。

 今夜はライブハウスを中心に捜査することにしている。中の町界隈から始めて、BCストリートにある“キャノン・クラブ“(※注30)まで、いくつかの店をのぞいてみた。これらの店では、ハードロックバンドの人気が高く、”コンディショングリーン“(※注31)や、“紫”(※注18)が、特に人気を集めていた。ライブハウスでは、刺激あるサウンドに酔った時、更に高揚感を高めてくれる、麻薬を求める者がいると聞く。

 僕たちは潜入捜査の合間に、ライブハウスの経営者からこんな話を聞いた・・・・・・今はかなり落ち着いているけれど、以前は若い米兵が街に溢れ返って、空前絶後の好景気だったという。彼らは“戦地手当”を手にすると、戦場に戻るまでのわずかな休息を楽しむ。酒、女、ロックに溺れ、そして熱狂する。ステージに立つ演者は、心がすさんだ米兵を前にして命懸けで演奏をした。演奏が下手だとブーイングが巻き起こり、灰皿や瓶などが、容赦なく投げつけられたという。

 アキラはすこし休憩しようと言って、ライブハウスを出ると小さなロックバーに向かった。

「The usual one cup」

 (いつものを1杯)と注文すると、ジャックダニエルのロックがアキラに差し出された。僕は清涼感が感じられるモヒートを楽しんだ。

 彼は、話しておきたいことがあると前置きして、アメリカ軍の戦況について話し始めた。彼の話を要約すると、

ベトナム戦争は、1968年には年間54万人のアメリカ軍兵士が派遣された。同時に嘉手納基地から北爆(※注32)に向かうB-52爆撃機で大きな戦果を挙げた。爆撃機が沖縄から飛んでくると知ったベトナムの人々は、沖縄のことを“悪魔の島” と呼んだという』

『パリ和平協定が調印された時には、派遣兵は2万4千人にまで縮小。今年の1月29日、ニクソン大統領は戦争の終結を宣言する。そして2か月後の3月29日には撤退が完了した。その時、軍港の桟橋には輸送船が次々と入港して、兵士達を沖縄に連れ帰った。彼らにとっては、行くも帰るもホワイトビーチ地区(※注33)ということだった。このようにして1973年以降、沖縄に駐留する兵士の数は徐々に減っていった。これを見てコザの街が落ち着きを取り戻したと言うのだろう』

 僕はこれまでの潜入捜査を思い返しながら言った。「この騒々しく混乱した光景で、落ち着きを取り戻したというの? 以前がどのようなものだったのか想像つかないよ」アキラは笑顔を見せて話を続けた。

『潜入捜査をして、一刻も早く17人を特定しなければならない。しかし、一度に逮捕しなければ意味がないのだろう? 中途半端に逮捕すれば、少なくとも半分は取り逃がすからね』

『17人は、麻薬の個別売買で日々稼いでいるのだろうが、沖縄に来た大きな目的は別にあるはずだよ。おそらくそれは、東南アジアのシンジケートにあらかじめ接触して、麻薬をここまで運ばせる。アメリカ軍を利用した運び方でね。空輸であれば嘉手納基地、船便であればホワイトビーチだろう。実をいうと、私には見えたんだよ。ホワイトビーチのB桟橋に接岸した軍用船から、荷下ろしされる大量の麻薬を・・・あの量が内地にばら撒かれたとしたら、日本中が麻薬で汚染されてしまうだろう』

「それは過去の出来事ではなくて、これから起きるということ? もしかすると、アキラは予知能力まで使うことができるの?」

『そうなのかも知れない。私には未来の出来事が見えることがある。昨日特定した男に接触した時、そいつの意識を通じて未来を見たんだ。その男が、軍施設のゲートを出たところにある森に潜んで、荷物の受け取りを待つ姿があった。もしかすると、17人全員が受け取り現場に集まるのかも知れないな』

「So that's definitely right, isn't it?」

(それは間違いないことだね?) 

「And when is that?」

(そしてそれはいつのことなんだろう?)

 アキラは深くうなずくと、

「It’s the evening of August 9th. Exactly 5:50 p.m.」

(8月9日の夕刻だよ。正確には17時50分だな)と、教えてくれた。

 僕は津々木捜査官に急いで連絡を入れた。アキラが予知した内容を伝えると、捜査方針は急展開を見せた。

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※注18『紫』は、バンド“ピーナッツ”が前身で、ドアーズやヴァニラ・ファッジなどの曲をカバーしていた。その後、日系3世の比嘉常治(ジョージ紫)が加入。彼はディープ・パープルに影響を受けており、1970年にバンド名を『紫』とした。

(※注28)フィリーソウルとは、フィラデルフィア・ソウルのこと。70年代前半に一世を風靡したフィラデルフィア発のソウルミュージック。ストリングスを使った柔らかく甘めのサウンドが特徴。それまでのソウル、R&Bを洗練された都会的サウンドに変えた。

(※注29)ディスコとは、音楽を流して飲料を提供し、客にダンスをさせるダンスホールのこと。

(※注30)キャノン・クラブとは、60~80年代にBCストリートにあった伝説的なライブハウス。数々のグループを世に送り出し、ロックの聖地としてその名を残した。

(※注31)コンディショングリーンの意味は、米軍用語で「5段階に区分された警戒レベルの下から2番目を指す通称。軍関係者の基地外への外出や繁華街への立ち入りが禁止される。日本復帰前の沖縄では治安や米軍に対する市民感情などが悪化した場合に発令された。沖縄のロックバンドであるコンディション・グリーンは、音楽雑誌の人気投票で上位に入るほど有名だった。メンバーがステージ上で鶏や蛇を殺すなどの過激なパフォーマンスを行い、ベトナム戦争に赴く米兵達を驚かせた。

(※注32)北爆とは、ベトナム戦争中に米国が北ベトナムに対して行った大規模な空中爆撃のこと。トンキン湾事件の報復という名目で1965年から開始された。

(※注33)ホワイト・ビーチ地区とは、うるま市に所在するアメリカ海軍の港湾施設勝連半島の先端にある。白砂が美しい海岸に2つの堤が突き出ており、先端にそれぞれ桟橋が設けられている。海軍桟橋と陸軍桟橋と呼ばれ、補給物資の揚陸、艦船への補給として使われる。また、原子力潜水艦の寄港地で、有事の際は、空母や強襲揚陸艦への海兵隊員の搭乗にも使用される。


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