第35話 ホワイトビーチ
1974年8月10日 土曜
8月8日木曜の朝、沖縄に来て初めて海を眺めることができた。海岸線の道路をバイクに乗って疾走するのは気持ちが良い。地図と照らし合わせると、青い海の先には宮城島(みやぎじま)や浜比嘉島(はまひがじま)が見える。
ホワイトビーチは、在日アメリカ海軍の港湾施設。コザの街からうるま市を経由して、勝連半島の先端にある、ホワイトビーチまでの所要時間は1時間程度になる。今日は、一斉検挙に備えた下見が目的だというのに、南国の景色に目を奪われてばかりいる。僕はすっかり旅行気分になっていた。
今から9時間前のこと。真夜中の連絡に、津々木捜査官の反応は鈍かった。 なんだって? それはほんとうなのか? しかし超能力でもなければ、そんなことが事前に分かるはずもないがな・・・」
「だから何度も言ってるでしょ! アキラは間違いなく超能力者なんだよ。 僕はアキラの予知能力を信じたい。 どうするの? こうなったらアキラの予知能力に賭けてみようよ」
「・・・そうだな。時間も残っていないことだし、ここは一か八か掛けてみるか。よし分かった!明日は一斉検挙だ」
「Is tomorrow’s hunt held here?」
(あすの捕り物はこのあたりで行われるんだね?)
「I think it’s definitely right.」
(そうだな、間違いないと思っている)
アキラが予言した一斉検挙の現場は、軍施設の出入り口ゲートを出たところから、上り坂を進んで左カーブの下り坂に転じる地点だった。西側の斜面一帯は森になっている。ここだと、ゲートで見張っている憲兵(MP)からは見えないから、絶好の受け渡し場所のように思えた。
アキラはバイクから降りて、木々の茂る斜面に腰を下ろすとタバコに火をつけた。そして何かを思い出そうとするように、ゆっくりと語り始めた。
『沖縄戦では、兵士だけではなく多くの民間人が犠牲になった。もちろんそうなったのは、アメリカ兵が上陸してきたからだ。私たちにとっては、どれだけ時が過ぎようと、それを忘れることはできない。一方で、沖縄からベトナムへ向かったアメリカ兵は4人に1人が亡くなったと聞いている』
彼はタバコの火を側溝の縁にこすりつけて消すと、2本目に火をつけて話を続けた。
『これはベトナム戦争が始まった頃の話だが、嘉手納基地の居住区には、将校向けのハウスが幾つも立っていた。週末になると、ハウス前に広がる青い芝の上で、将校の家族がバーベキューを楽しむ光景があった。厚いステーキを焼く匂いが風に乗り、鉄条網の外で見ている私のところまで漂ってくるんだ。それは子供心にとても羨ましく思えたよ。アメリカとの経済格差を思い知らされる一場面だな。しかし、皮肉なことにその同じ基地からは、沖縄に来て訓練を終えたばかりの若い兵士が、毎日のように地獄の戦場に送り出される。このホワイトビーチの桟橋から、言葉なく輸送船に乗り込む兵士達を想像してみたまえ。彼らの心情はいかばかりのものか』
「そうだよね。生きて帰る確率は75%、しかも心身ともに傷つかずに戻ってくる兵士は更に少ない。僕だったら兵役は耐えられないだろうな。理不尽な話でしかないよ」
彼は3本目のタバコに火をつけながら更に話を続けた。
『兵役の是非を論じるのは止めておこう。ところで兵士たちの中には、自らを鼓舞するために、ポータブルレコーダーに好きなロックミュージックを入れて、戦場に行く者がいる。精神的に追い詰められたり、恐怖を感じた時にプレイボタンを押すんだよ。 ローリング・ストーンズの“サティスファクション”や、ジミ・ヘンドリックスの“パープル・ヘイズ”などが人気だ。最前線では、正常な精神状態を保つのはそれほど至難の技なんだ』
『私の職業はマトリだけど、若い兵士たちが麻薬に手を出す気持ちを理解することができる』
「But drugs are bad, right?」
(でも麻薬は悪いことだよね?)
「I know it’s wrong, but when I think they’re not just playing around, my heart tightens.」
(悪いと分かっているが、彼らは遊びで手を出すのではないと思うと、心が締め付けられるんだ)
「Let’s stop talking about this.」
(もうこの話は止めておこう)
アキラは、もはや何本目なのか分からないタバコの火を消すとこう言った。
「Shall we go eat tacos for a change of pace?」
(気分転換にタコスでも食べに行くかい?)
コザ十字路まで戻って左折をするとサンサン通りに出る。そして直ぐに右折すると“チャーリータコス”が見えてくる。店の入り口には“メキシコ生まれの沖縄育ち”と書かれてある。店内に入ってツナとチキン、2ピースを注文した。
「うん、これもまたジューシーに負けず劣らず美味しいね・・・・・・ところでアキラはバイクの乗りこなしが上手だけど、いつの頃から乗っているの?」
『最初に買ったバイクは高校生の時だった。今のハーレーは、就職した時にそれまで乗っていたバイクを下取りに出して買い替えた。初めてのバイクはある意味、米兵に買ってもらったようなものだけどな』
「どういうこと?」
『子供の頃は、コザの歓楽街にはそこかしこに紙幣やコインが落ちていた。特に週末になると、多くの米兵が街に繰り出すからチャンスなんだ。翌日は、たくさんの子供たちが早起きしてお金を拾いに行ったもんだよ。雑居ビルの植え込みや、観葉植物の鉢の中、ゴミ箱などは真っ先に確かめるんだ』
「なぜそんなにお金が落ちているの?」
『彼らは、戦地に行けばいつ死ぬかわからないと考える。江戸っ子の“宵越しの金は持たない”と、似た感覚じゃないのかな。お金は残さないという美学。それともヤケになっているかのどちらかだ。だから湯水のようにお金を使ったあげくに、余ったお金は捨てるんだよ』
「なんだか悲しいね・・・」
『私はそのお蔭で、普通の子供が手にするお金をはるかに超える金額を手にしたんだ。これは考え方次第だが、今は恩を仇で返すような仕事をしていると思うと、気持ちのやり場がないんだ』
「そう・・・なんだね・・・・・・」
翌朝はすぐにやって来た。決戦の日を迎えた朝に、アキラは僕のために朝食を作ってくれた。焼いたスパムに半熟のスクランブルエッグを添える。ケチャップをつけると、これがとても美味しい。
津々木捜査官から、携帯通信機器に連絡が入って来た。最終打合せに僕は緊張した。
「奴らのうち13人は予定時刻までに森の中に入り、そこで息を殺して潜んでいる。現場向かいの空き地には、麻薬搬送用トラックを2台停めて、2人のドライバーが待機している。併せて逃走用のバイク2台が並ぶ。そして、アジトには指示役1人と留守番役の1人が残るという手はずと考える」
「そうなんだ。しかしあまりにリアルなフォーメーションだね。これは津々木さんの見立てなの?」
「うっ!・・・さすが鋭いな。確かに、きみの言う通りで私の考えではない。以前、真鳥捜査官が、構成員に特定した人物の信頼を得たと言っただろう? この計画は、真鳥くんがその女性から聞き出したことなんだ。しかも彼女は、今では真鳥くんと恋仲になっているという。嘘をつくこともないし裏切ることもないようだ。むしろ彼女は、早く真鳥くんに自分を逮捕して欲しいと願っているそうだ」
「まったく真鳥さんには、いつも驚かされるよ。彼は信じられないほどのモテ男だね」
「そうだな。そして彼は15時を目途に指示役を逮捕して、空間移動装置で私の家まで護送する。そこで指示役を睡眠装置に押し込むと、再びアジトに戻って検挙現場にバイクで向かう手はずだ。アキラの予言した17時50分には間に合うはずだから、我がチームは7名全員で戦うことができるよ」
予定時刻の17時50分に、僕たちはアメリカ軍のゲートから、県道8号線へと繋がる三差路の空き地に、ゆっくりと静かに車両を停めた。森の中から次々に飛び出して、軍用車を強制的に停める構成員の姿がここから確認できた。待機させていた、2台の小型トラックを軍用車の前に横づけすると、慌ただしく荷下ろしを始めた。構成員の中には、ピストルを米兵に向けて威嚇している者もいる。彼らは受け渡しに集中しているから、背後から近づく我々に注意が向いていない。我が捜査官たちも拳銃を手にしているが、もし打ち合いになれば、僕たちは一体どうなってしまうのだろうか?
構成員たちが搬送用トラックに荷を移し終えたのを見計らい、津々木捜査官は大声で号令を掛けた。同時に、彼らのピストルの銃口は僕たちに向けられた。ところが次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにする。
構成員たちのピストルが、手からゆっくりと離れると、宙に留まっている。米兵の機関銃もそうだった。ついでのように、津々木捜査官たちの拳銃も空に舞い上がる。これを見た誰もがパニックに陥った。僕は振り返ってアキラを見た。彼は無言のままにうなずいた。それは念力(サイコキネシス)のようだった。もはや、アキラが次々と繰り出す超能力に、僕は驚きを感じなくなっていた。
そして逮捕劇が開始された。津々木捜査官と時空間野営部隊の3名は、逃げ回る構成員を次々と確保していく。手際よく手錠を掛けてトラックの荷台に乗せていく。僕は逃走用トラック2台の運転席から、素早く車のキーを抜くことに成功した。次にバイクのキーを抜こうとした時、「そこをどけ!」と押し倒されてしまった。2台のバイクがエンジン音を上げて走り去るのが見えた。
アキラは、身分証明証を米兵に見せて事情説明をしていた。彼は、逃走するバイクのエンジン音を聞いて振り返ると、停めてあったハーレーに全力で駆け寄った。真鳥捜査官も急いでバイクにまたがると、フルスロットルで飛び出していく。2人のバイク音が、けたたましい唸り声を上げて彼方に消えて行った。
津々木捜査官は満足げに言った。「荷台には13人を乗せた。逃走した2人と睡眠装置に眠る1人、そして真鳥くんの“彼女”を足せばこれで全員検挙だな・・・おっと真鳥くんから連絡だ!―――アキラの素晴らしいバイクテクニックで2人を確保したそうだ。早く彼の待つ場所まで車を回して欲しいと言っている。真鳥くんはこれから留守番役の彼女がいるアジトに向かうそうだ」
―――8月10日、沖縄と別れる日がやって来た。昨夜はチームメンバー7名、真鳥さんの彼女とで、反省会を催した。真鳥さん立っての希望は、コザの黒人街(※注34)にあるクラブで踊ることだった。真鳥さんは、彼女とダンスをしながら、最後の別れを惜しんだ。2人の姿を見ていると、ローリングストーンズの『悲しみのアンジー』 ※注19 という、それは甘く切ない曲が頭の中で流れ出していた。メンバーたちは、無事にミッションを成功させた喜びを胸に、楽しく騒いでいた。
「Come back to Okinawa when you feel like it.」
(気が向いたらまた沖縄に来なよ)
アキラは僕の肩に手を置くと、ウイスキー片手に静かに言った。
10日土曜、16時になった。僕はアキラにお礼を告げると、空間移動装置で津々木家に戻った。装置を使う前に津々木捜査官が、「座標値は家の中ではなく、庭に設定しているからな」と言っていた。それは戻ってみると、言っていた意味が直ぐに分かった。
3LDKの一戸建てに、構成員17人と津々木家の5人がひしめきあっていた。僕のアバターはまもなく消去されて、僕と真鳥さんはもうすぐ自宅に帰るけれど、それでもこの家は人員過剰になっている。母親役の和子さんは、津々木捜査官に訴えていた。「早く何とかして下さいよ!! 未来の警察庁拘置所に彼らを転送してもらえないですか?このままじゃ、寝るところもないわ」
「まあもう少し待ってくれ。全員の取り調べを終えたら、二、三日中にはなんとかするよ。今夜は庭にテントを張って、そこで寝ようかな・・・・・・」
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※注19 『悲しみのアンジー』(原題:Angie)は、ローリング・ストーンズが1973年に発表した楽曲。本国イギリスでは2週連続で5位。アメリカでは1位に達し、バンドにとって7作目の全米1位獲得シングルとなった。
(※注34)1960年代のアメリカでは、“白人”と“黒人”の間で人種をめぐる対立が続いていた。米兵の歓楽街として栄えたコザもその影響が色濃く表れていた。現在の胡屋十字路近くの一番街周辺が“白人街”、銀天街周辺が“黒人街”と呼ばれて夜の街でも棲み分けがあった。