tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第44話 船上決戦

               1975年1月26日 日曜

 愛原さんからボトルを渡された津々木捜査官は、この小さなボトルを右手に持ってフタを回した。中身をこぼさないように注意しながら、ボトルを鼻の近くに持っていった。彼は鼻で深く息を吸って、香りの特徴を感じ取ろうとする。息をゆっくり吐き出して、容器のフタを閉めると、メモを取り始めた。

「んだな。かなり制御物質に近づいでるんだな。でも甘い香りが少し足りねぇようだぞ。もうちょっとアンバを足してみでけれ」

「そうだね。僕も津々木くんの意見に賛成だよ。やはり、甘くほのかに漂う香りが決め手のようだからね。僕はこの香りが秘めているエネルギーを感じ始めているよ。波動療法(※注36)って聞いたことあるかい?草花などを使って、体内の固まりをほぐして緩めるんだ。こうして体内を解放すると、今まで持っていなかったエネルギーが得られるという。これと似たことを起こしてくれるのが、この香料じゃないだろうか?」僕は津々木捜査官に確認してもらうことに、心強さを感じていた。

 愛原さんは、スポイトを慎重に扱いながら、極めて少量の精油を足した。僕と津々木捜査官は、順番に確認を行った。みんなが固唾を呑んで見守る中、捜査官は深くうなずくと、ひと呼吸おいて口を開いた。

「こりゃだ。やっと100点のもんができた! しかまくん、あ、いや、まやくん、未来はすぐそこだべさ。みんなようがんばっただべ」

 メンバーは、達成感に満ちた表情を浮かべてガッツポーズをした。梅野くんは感慨深げに 「溶剤抽出から始めて、調合まで足掛け2週間を要したよ。でも遂に完成したね。 摩耶くん、これからはどのように進めるの?」

「そうだね。完成した制御物質を実際に試す段階になったから、試しにタイムリープをしなければいけないね。みんなを危険にさらすことは出来ないから、僕が実験台になって検証してみようと思う。まずはこの理科室で10分前の過去に跳躍してみよう。成功すれば僕の姿は消えてなくなり、10分後には再び現れる。みんな、よく見ておいて欲しい」

 完成したボトルとスポイトを捜査官に渡すと、僕の身体に適量を塗ってもらった。 ここからは、弟が教えてくれた手順通りに進めていけばよい。頭の中で、跳躍する為の準備設定をして、キーワードに願いを込めた。これで僕の身体は徐々に薄くなって、消えるはずだ―――

 

――――理科室では、みんなが固唾を呑む中、捜査官が小さな声で 『んだ、んだべ』としきりにうなずいている。『こりゃだ。やっと100点のもんができた!』みんなはガッツポーズをして笑顔を見せている。―――「みんな、よく見ておいて欲しい」と僕が言う。こうして、やがて僕の身体は消えてしまった。津々木捜査官を除いたみんなは、誰もが蒼ざめていた。「ほんとうに消えたよ! どうしよう?」ちょっとした騒ぎが続く。もうそろそろ10分が経過する頃だ。

 捜査官は笑みを浮かべていたが、メンバー3人は心配そうに、半透明で現れつつある、僕の姿を凝視している。「摩耶くんが現れたよ!まるでマジックショーを観ているようだわ」 越川さんは感嘆の声を上げた・・・大成功だった!

「検証を重ねる必要はあるけれど、まずは10分間のタイムリープは成功した。これもみんなのおかげだよ。ところで梅野くんにお願いがあるんだ。期末テストの前まで理科室を借りられるよう、七島先生に延長の交渉をして欲しい。まだやり残していることがあるからね。引き続き、越川教授へ提出するレポート作りも進めようね」

 梅野くん、愛原さん、越川さんは途端に困った顔つきになった。愛原さんは、「私たちはどこまで本当のことを書けばいいのかな?」と疑問を投げかけてきた。

 梅野くんは 「僕たちの研究は、あくまでも新種の香料を作ることだと考えよう。リラックス効果が高く、気持ちを落ち着かせてくれるオイルのことだよ。完成したボトルは、摩耶くんが必要とする用途だけでなく、新種の香料という副産物を生んだ。幸いにも越川教授は愛原さんが要望した量の2倍のアンバーグリスを提供してくれている。 僕たちはこの原材料の半分を余すことなく使って、みんなに喜んでもらおうよ。そもそもタイムリープのことをレポートに書いても、誰も信じてはくれないからね。さあ、みんなで協力して“新製品開発レポート”を作成しよう!」

「梅野くんはええことゆうな。すげぇよ、おどがめんけがったべ。うちの部署で捜査官として働いてくれんべ?」

 僕は笑いながら言った。「津々木くん。ここにいるメンバーは信頼できるから、標準語を使って構わないよ。ちなみに『おどがめんけがった』とは、『君のことが気にいった』ということだよね。だからといって、この場でリクルートするなんてね」

 相川詩織さんからは、手紙の返事が昨年末に届いていた。彼女は手紙の中で、通信遮断していた僕のデバイスチップは、間違いなく復旧すると予見していた。そして、小津の動向については気になることを書いていた。

『小津は言っていたわ。昨年の夏、配下の人間を17名も失ったのは大きな打撃だった。 それに密輸ルートを断たれた為に、資金が底をついている。だから小倉の街に新たなアジトを作って、組織の立て直しを図ろうと考えているみたい。高額収入をうたったアルバイト募集でメンバーを募り、採用すると軍事訓練まがいの教育を行う。それはとても忙しい日々が続いているようだわ。学校の授業が終わると、小倉駅まで列車で向かう日々で、寝る暇も無いなんて言っていた。そのうち反転攻勢に出て、汚名返上するのだと口癖のように言っている』

 小津も空間移動装置を使っているから、小倉の街を行き来するのに、列車なんて使う必要はないはずなのに。もしかすると、空間移動装置が使えない事情を抱えたのかな? 彼の懐事情はよほど切迫しているのかも知れない。空間移動ができなければ、“裏の仕事”に重大な影響を及ぼしかねない。

 翌日の昼休みに、津々木捜査官が僕のクラスにやってきた。「大事な話だべ。ちょっと2人だけで話をしよう」校庭の手前にある大きな樹木が立ち並ぶ一角まで行くと、捜査官はあたりを見回した。誰もいないことを確認すると 「重大な情報を得たぞ!小津の率いる犯罪集団が、麻薬を密輸入しようとしていることが分かった。それにしても性懲りもない奴だが、真鳥くんが言うにはこれはかなり大きな取引だということだ」

「彼は追い詰められていると聞いているから、ここで挽回しようという考えだね。それはいつ実行されるの?」

「4日後の1月26日だ。東南アジアから空輸した密輸品は那覇港で貨物船に積み込まれる。出港した貨物船は、鹿児島と大分を経由して豊後水道を通過する。下関港には15時40分に入港する予定になっている。小津の集団は総勢20名。港で待ち受ける者たちが4~5名で、乗船して密輸品を監視する者は10名程度だろうと見積もっている。奴らが乗船するタイミングは、大分港に寄港した時という情報を得ている。小津は過去の失敗がトラウマのようで、今回は自ら乗船して陣頭指揮に立つようだ」

「こちらの体制はどうなんだろう。十分に整うのかな?」

「この機会を絶対に逃すわけにはいかない。今度こそ、小津を現行犯逮捕して裁きを受けさせるつもりだ。真鳥くんが所属する水上警察署の捜査官4名を中心に、我々警察庁の職員が3名。それに沖縄麻薬取締支所から、アキラが応援に駆けつけてくれる。そうすると8名の精鋭が揃うことになる」

「アキラが来てくれるんだ!早く会いたいな。超能力者が味方だから頼もしい限りだよ。それで僕は何をしたらいいの?」

「これは、奴らアンダーワールドの住人たちとの最終決戦だ。君たちを危険な目に合わす訳にはいかない。当日は貨物船の通過を見計らって、海峡に架かる橋の上から、甲板上に飛び降りて急襲するつもりなんだ。君らは小高い山の上に登って、高みの見物でもしていてくれたまえ」―――――

 

―――――あと10分で、貨物船が橋の下を通過すると思われる、1月26日14時50分を迎える。今日は朝から吹雪くあいにくの天候だった。海峡で最も狭い個所に架かる橋に向かって、玄海灘から次々と風雪が流れ込んでいる。吹き荒れる雪は視界を奪ってしまう。捜査官たちにとって、今日は最悪のコンデションだった。

 津々木捜査官たちは橋の上に乗用車を2台停車させて、貨物船がやってくるタイミングを計っている。僕と梅野くんは、赤江瀑先生のタイムマシンに乗船させてもらっていた。昨晩、先生に電話で事情を説明して、緊急事態が発生した時は、マシンを救護車輛として使わせて欲しいとお願いしていた。先生は二つ返事で快諾してくれた。

 今日は、タイムマシンを空間移動装置として使っている。それはヘリコプターが飛び回るイメージ。大好きな早鞆の瀬戸(はやとものせと)を縦横無尽に飛び回ることは、先生もまんざらでもないようだった。

 橋の上では捜査官たちがその瞬間を待っていた。飛び降りるといっても、橋から海面までは61メートルの高さがある。甲板上でも52メートルはあるだろう。飛び降りるという事はすなわち死を意味する。津々木捜査官は、14歳のアバターを28歳の成人に変身させて、背広を着ている。携帯通信機を耳に充てながら何か会話を交わしていた。おそらく警察庁職員である和子さんに、空間移動するメンバーの座標値と、開始時刻を伝えているはずだった。

 一瞬にして、停車車両の周りに立っていた、背広姿6名の姿は忽然と消えた。ただそこには、バイクにまたがったアキラがひとり取り残されている。突然、アイドリング状態だったバイクは唸り声をあげた。アキラがギアチェンジをした次の瞬間、バイクは橋を飛び出して真っ逆さまに海へと消えて行った。おそるおそるマシンのモニターに映る船の甲板に目を移すと、アキラはバイクに乗って早くも縦横無人に暴れ回っている。 アキラは、おそらくサイコキネシス(念動力)を使って、甲板上までテレポート(瞬間移動)したのだろう。

 先生は貨物船の甲板付近までマシンを移動させた。そして、船上の壮絶な光景を目の当たりにする。そこでは、捜査官たちと敵との銃撃戦が繰り広げられていた。敵のリーダーである小津は、ひとり操舵室に立てこもっている。捜査官たちは、船内で逃げる敵を一人ずつ倒しながら、操舵室に近づいて行く。梅野くんと僕は顔を見合わせて 『とてもじゃないけど、僕らの出る幕ではないね』と、アイコンタクトを交わした。

 操舵室では、津々木捜査官と小津との一騎打ちが始まっていた。彼は、小津にあえて素手で格闘を挑んだ。非道な犯罪者である小津に憎しみを抱いているにも関わらず・・・捜査官は、小津とは同級生として1年余りを同じ学校で過ごしている。そんな小津に、彼は銃口を向けることができなかったのだろう。

 真鳥捜査官は、爆弾が仕掛けられた船内に降りて行った。敵が近づくのを察知した犯人たちは、起爆装置を起動させると、一目散に逃げ出した。彼はとっさに爆弾を抱えると、甲板に出て海に投げ込もうとしたが、起爆する時間はもう僅かしか残されていなかった。

 彼の背後からバイクが猛スピードで近づいてきた。アキラは真鳥捜査官が抱える爆弾を左手で取り上げ、甲板上からバイクごと海に向かってジャンプすると、爆弾を海に投下した。次の瞬間、爆発の水しぶきが高く上がった。僕たちは、あと数秒遅れていたらと想像してぞっとした。アキラはバイクに乗ったまま、海中からゆっくりと甲板へと上がって来た。まさに超能力の成せる業だった。

 操舵室では、小津が格闘を続けていたけれど、遂には抵抗空しく、津々木捜査官に手錠を掛けられた。

 僕と梅野くんは、敵味方を選ばずに、銃撃戦で傷ついた人たちをマシンに乗せた。 6人もの人が手や足などに銃弾を受けていた。取り急ぎ傷口にガーゼを当て、圧迫止血を行って包帯を巻いた。港では、岸壁で待ち受けていた犯人たちが確保されて、救急車が数台待機しているという。そこまで6人をマシンで運ぶと、役割を終えた僕たちは、貨物船が港に接岸するのを待った。

「早鞆の瀬戸や巌流島は、古くから源平の合戦や武蔵と小次郎の戦いなど、対決の場として人々の記憶に残る処だが、君たちはまた歴史に新たなページを加えたね。貴重な体験をさせてもらったよ。私の創作意欲をおおいに刺激させてくれた一日だった」 赤江先生は感慨深げに話した。

 小津は肩を落として、うつむき加減に下船してきた。彼は、僕の視線に気が付くと、後ろめたい表情をうかべて、警察車両に乗り込んでいった。 真鳥さんやアキラも後に続いて船から降りてきた。

「It’s been ages. I’m delighted to see you again.」

(久しぶりだね。また会えてうれしいよ)と、アキラに言うと、

「This is my first visit to Shimonoseki, but I’m impressed by how nice it is. I’m enjoying it here.」

(初めて下関に来たが、なかなかいいところじゃないか。気にいったよ)と、言ってくれた。

 真鳥さんは 「命拾いしたよ。アキラが助けてくれなければ、私は此処に立っていない。さあ、今日の仕事はもう終わったようなものだ。ほら、豊前田のラウンジが我々を呼んでいるよ!アキラと私は行くが、摩耶くん達はどうする? どうだい、綺麗な女の子を紹介するよ?」

「今日はこれから、赤江先生にタイムマシンの話をお聞きすることになっているので、難しいですよ。それより大活躍してくれたアキラさんを、十分にねぎらってあげて下さい」

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(※注36)波動療法とは、すべての物質が持つ固有の波動(振動)を利用して、人体のエネルギーバランスを整えることで、病気や不調にアプローチする医療のこと。人体の細胞や器官は、電気信号や電磁場を発生させており、それらが波動として伝わっている。波動は、健康な状態では一定の周波数を保つが、ストレスや感染、毒素などで乱れたり減衰する。その結果、身体の機能が低下し、病気や不調が起こる。波動療法は、乱れた正常な周波数に戻すことで自然治癒力を高める。また、花や草木のエネルギーを利用した波動療法がある。