tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第45話 パラレルワールド

               1975年2月10日 月曜

『大騒ぎになることもなかったし、必要な情報も十分に得られたよ。実は、途中で何度かあきらめかけたんだ。それでも、頑張ってなんとかハッキング出来たからね。だから今はほっとしているよ。それにしても、兄貴の勤務していた会社は、ガードが固かったなぁ。それから、調べるほどに闇の深い会社だと知ったから、僕は怒りや憤りで身が震えたんだ』

 弟の鹿間敢太にハッキングを依頼したのは、年が明けた始業式の日だった。彼は3日後に、その調査結果を知らせてくれた。

『兄貴が過去に飛ばされた頃の2043年は、今ではタイムリーパー元年と言われている。タイムリープは、古くから知られる現象だったよね。でもそれは噂レベルであって、空想科学の域を出ていなかった。ところが、これを科学的に解明したのが、兄貴が勤務していたキュビットシステムなんだ。会社は2040年にプロジェクトを立ち上げた。その主幹部署が生物工学研究所だね。タイムリープを制御するシステムの開発に着手したと、記録が残っているよ』

『会社がプロジェクトを立ち上げた動機と、その根拠はいったい何だったのかな?』

『それは2035年に遡るようだよ。当時、ある若き植物学者が開発した培養装置が、植物の成分を使って、時空を飛び越えるエネルギーを生むことに成功したらしい。放出される緑に光るエネルギーに触れると、過去や未来に移動することができたというんだ。 その植物学者は、この世紀の大発見を公表しようと準備を進めていた。ところが、彼はキュビットシステムが雇った集団に、突然襲われて拉致されてしまう。それ以来、長きに渡って生物工学研究所内に閉じ込められたんだ。その後、彼は“時間旅行”の完成度を高めるよう、会社から研究を強要された―

―改良の目途が付いた2040年ごろ、会社は世の中に対して、“タイムリープの開発にこれから着手する”というプレスリリースを行う。“時間旅行システムを自社開発するよ”と・・・でもほんとうは、出来レースなんだよね。こうすることで、会社は独自開発をしたというアリバイが作れる。それから株価も上がり、世間の信頼を得ることができる。その後は、治験をスタートさせて、2043年10月に完成を見ることになる。ちなみに、この植物学者は、いつしか闇に葬り去られているんだ。ほんとうに気の毒だよね』

『・・・言葉がないよ。研究成果を盗むばかりでなく、人の命まで奪うなんて・・・小津や彼の研究チームによる犯行だとばかり考えていたけど、会社ぐるみだったとはね』

『会社ぐるみだと思った? 兄貴は少し甘いよ。実はね、政府もこのプロジェクトに絡んでいるんだよ。それを言うなら国ぐるみなんだ。この事実を知った瞬間、ハッキングをした僕も狙われるのではないかと、恐怖で震えが止まらなかったんだ』

『ほんとうなのかい? 信じられない話だね―――ところで小津は、2040年に入社して生物工学研究所で働いていたと、相川さんに聞いている。その“小津少年に意識スライドした”人物の名前は分かったかい?』

『うん、兄貴が得た情報で検索をかけたら直ぐに判明したよ。2015年9月11日生まれ。 2040年4月入社。生物工学研究所に配属されたという情報だったね。これだけで十分だったよ。検索条件に一致するデータが1つだけ出てきた。それは“石田都茂矢(いしだともや)”という名で、兄貴が通っていた大学を卒業した4年先輩になる。大学院卒だから、会社では2年先輩ということだね』

『人物像はなんとなく浮かんでいたけど、あの石田さんだったとは・・・彼はね、新進気鋭の逸材と言われて、社内では期待の研究者だったんだ』

『そうなんだろうな。でも、そんな彼が研究チームを巻き込んで、違法なことをしたんだ。制御システムの検証が、あまりにも困難だったことでね。彼はチームの責任者として追い詰められたようだね。被験者が集まらないから治験なんてできないんだ。それはそうだろうよ。過去や未来に跳躍して、現代に戻るプロセスを検証するんだから。戻ってくることが出来ない可能性もある。そんな治験に誰が応募すると思うかい?』

『過酷な作業計画を突き付けられたんだろうなぁ。期限を区切られると、誰でも焦るからね。石田さんは、会社の厳しい要求に、なりふり構わない状態に陥っていたんだろう』

『治験とは、新しい医薬品の効果や安全性を確認するための臨床試験だよね。被験者には目的や内容などを正しく説明して、同意を得る必要がある。安全を最優先にして、被験者に不当な影響を与えてはならないんだ。ところが彼は何をしたと思う?十分な説明をせずに、嘘を言って、公募した被験者から同意を得たんだよ。そして、目を付けた社員に対しては、説明はおろか、強引に治験を実行した。こうして現代に戻ることができなくなった行方不明者は、3年間だけでも被験者が18人、社員は14人にのぼる。当然、親族は捜索願を出すけど、会社は事実を隠ぺいした。また、資金面でプロジェクトを支援していた政府は、警察に圧力をかけて捜査妨害までしたんだ』

『ターゲットにされた社員は、ある日、研究棟で知らぬ間に、香りを発する薬剤を体に塗られる。研究グループから、付着させた薬剤(制御システム)に向けて起動データを送ると、タイムリープが実行される。すると、あらゆるデータが被験者のデバイスチップを通じて収集されていく仕組みだね。跳躍した人体のデータさえ収集できれば、被験者がどうなってしまおうと構わない』

『そういうことなんだ。多大な犠牲の上に完成した制御システムだったということだね。こうして、跳躍を自在に操る方法を見つけたことで、タイムリーパーが誕生することになる。その“石田都茂矢”は、1年前の2044年に退職している。彼はその時、制御システムのデータを研究所から盗み出している。データを複製した痕跡が残っていたから間違いないよ。今は2045年2月、僕は現時点までの情報しか持たないけど、その後に彼がたどった道は、おそらく兄貴の知る通りじゃないのかな?』

『相川さんはこうも言っていた。その後は、タイムリープに対する倫理観や、技術の重要性から、国の管理下に置かれることになると・・・』

『その通りだね。2044年12月にキュビットシステムの特許権は剥奪されている。国が厳重に管理することになったんだ。むしろ初めから、成果を取り上げるつもりだったのかも知れない。会社にすれば自業自得ってもんだね。サーバーに格納されたデータは、国が没収したはず。ところが会社は没収されたデータの大半を復元したようで、制御物質の成分や作り方、制御物質の操作方法などが残っていたから安心しなよ。・・・・・・・・・なんだかお腹が減ってきたなぁ。ビッグマックでも食べよっかな』―――

―――理科室で制御物質を完成させて、10分前の過去にタイムリープしたのは、1月22日だった。僕はその夜に弟の敢ちゃんに連絡を入れた。10分前の過去に跳躍したことを伝えると、完成させた制御物質の作成工程を説明した。ボトルの中身が、ハッキングしたデータと一致するかどうか調べてもらった。

 弟は驚きを込めてこう言った。

『全く問題ないよ。しかしレシピも無いのに、よくここまで同じものを作ったもんだね』

 それから数日が経ち、1月26日の船上決戦のあとに、半年前の過去へ行ってみた。 そして2月早々に、今度は、1年前の過去まで行ってみたけれど、特に気になるようなことは無かった。あとは未来への跳躍がうまくいけば、制御システムは完成したと考えていいだろう。

 未来へ行く日は、2月10日の建国記念日前夜に決めた。弟に連絡をして、操作方法を念入りに復習すると 『これから10年後の未来に跳躍してみるからね。こちらの母親には、今夜から津々木くんの家で1泊2日の勉強会に参加すると伝えている。万が一なんらかのトラブルが起きたら、直ぐに連絡するからね』―――

―――こじんまりとした部屋の壁には、1985年のカレンダーが貼ってある。テレビのスイッチを入れてチャンネルを回した。NHKが、東京にあるホテルニュージャパン(※注37)が、昨日起こした火災について解説をしていた。テーブルの上に置かれた新聞を拡げると、昭和60年2月10日の文字があった。どうやら、10年後の未来への跳躍は成功したようだった。1985年2月10日の世界では、僕こと摩耶浩之くんは、社会人となってワンルームで独り暮らしをしているようだ。新聞をめくると、札幌冬季オリンピック(※注38)の特集が大きく組まれている。他にも、メジャーリーグで活躍する、鈴木イチロー(※注39)や、テイラー・スウィフト(※注40)が、ロサンゼルスで開催されたグラミー賞で、年間最優秀アルバム賞など4部門を受賞したことなどが書かれてあった。

 部屋には、テレビに接続されたビデオデッキがあった。SONY製で、型番はSL-HF55、ベータハイファイと記されてある。棚には、音楽物のビデオテープがたくさん並んでいる。そこから手に取ったのは、マイケル・ジャクソン(※注41)のスリラーだった。時間にして14分間の映像と音楽は見応えがあった。数本のビデオを見終えると、ベッドに入って眠りにつこうと、部屋の明かりを暗くした。すぐに眠りに落ちるだろうと思ったのに、なにか言いようのない違和感を覚えて眠ることができない。何かが心の奥底に引っかかったまま朝を迎えてしまった。

 休日の朝は、冬だけど青空が広がっていて、それほど寒くはなかった。午前中はマンションの周りを散策したり、テレビを見たり、ラジオを聴いたりして過ごした。80年代の洋楽は70年代に負けず劣らず素晴らしかった。ホール&オーツのキッス・オン・マイ・リスト ※注23は、音楽心に響いて忘れられない楽曲だった。

 午後3時になったら、10年前の世界に戻ることにした。こうして僕は、津々木捜査官の家に姿をあらわしたけれど、捜査官の家に人の気配はなかった。それから、とぼとぼと少年の家まで歩いて帰ると、その日は早めにベッドに入った。

 翌朝、朝食を終えていつものように玄関の扉を開いた。そこには早志くんと、ひとりの女子生徒が立っていた。「2人で迎えに来てくれて今日はどうしたの?」 僕が驚きぎみに問いかけると、「おまえ、寝ぼけてるのか?意味わからないことを言うよな。俺たちはいつも通り来ただけだぞ?」―――僕は何も言い返せなかった。

 梅野くんの家に着くと、女子生徒が玄関のチャイムを鳴らした。「おはよう!」と言って梅野くんは僕たちの前に現れると 「山本さん、犬に噛まれたらしいけど、学校休まなくても大丈夫かい?」 そう言って心配そうに彼女を見た。早志くんは 「山本さんはいつも元気だから大丈夫だよね。それにひとりでも欠けると、俺たちは“近所4人組”ではなくなるからな」と言った。

 僕は膝から崩れ落ちるような気持ちに追い込まれた。『予感は当たったんだ。やはり、ここは似て非なる違う世界だよ。10年後の未来に跳躍した時から、パラレルワールド(並行世界)に迷い込んだに違いない!』 並行世界に入り込むと、二度と戻ることは出来ないという。通学の途中、弟の敢太に何度も連絡をするが反応は無かった。僕の焦りは頂点に達しようとしていた。

 早志くんは僕の顔をのぞき込むと心配そうに言った。

「お前、顔色が悪いぞ。よほど体調が悪いんだろうな。保健室に行くか?」

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※注23 キッス・オン・マイ・リストは、ダリル・ホール&ジョン・オーツが1981年に発表した楽曲で、全米で1位を獲得した。後にエディ・ヴァン・ヘイレンは“キッス・オン・マイ・リスト”を気に入ったあまり、シンセ・パートをコピーして名曲“ジャンプ”で使用した。

(※注37)ホテルニュージャパンは、1982年(昭和57年)2月8日未明に発生した火災により全焼して廃業に追い込まれた。

(※注38)札幌冬季オリンピックは、札幌市で1972年(昭和47年)2月3日から2月13日まで行われた。アジア圏では初の冬季オリンピックだった。

(※注39)鈴木イチローは、2000年11月30日に日本人野手として、初のメジャーリーガーになった。

(※注40) テイラー・スウィフトは1989年生まれで、2004年にソングライターとしてデビューしたカントリー・ポップ歌手。

(※注41)マイケル・ジャクソンは1958年生まれ。シンガーソングライター、ダンサー、ビートボクサーで、「ポップの王様」と称された。1982年に発表された『スリラー』は、世紀のモンスターアルバムと呼ばれた。


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