tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第28話 マトリ

               1974年6月15日 土曜

 夜の闇が迫ると、周りの音は静まり返り、まるで時間が止まったかのようだった。此処は船舶を係留して、人や貨物の積み卸しをする埠頭。手元すら見づらい暗闇の中で、海面を覗き込むのはとても危険だ。得体の知れない何かに腕を掴まれて、海中に引きずり込まれるとも限らない。

 先日の昼休み時間だった。津々木捜査官から、「取締りの現場を見学してみないか?」と誘いがあった。「この町にある水上警察署に、厚生省の職員が派遣されたんだよ。その職員は薬物犯罪摘発の指導係で、我が警察庁の薬物銃器対策課とも関係が深い。彼は特別司法警察職員の権限が与えられた麻薬取締官だ」

「そうなんだ。段々と大掛かりになっていくよね。手をこまねいている訳にはいかないという、時間犯罪警察局の本気度が窺えるなぁ」

「そういうことだ。麻薬取締官は、俗に“麻薬Gメン”あるいは“マトリ”と呼ばれる。 小津が資金源にする取引を断つ為に、派遣されたということだ。『徹底的に根絶して、奴の息の根を止めよ!』という上層部の指令だが、それにしても頼もしい味方が参戦してくれたものだ」

 翌朝、少年の母親にはこのように伝えた。 

「今日は部活が終わったら、津々木くんの家で泊まり込みの勉強会をするんだ。明日のお昼ごろには帰って来ると思う」

・・・・・・部活を終えた夕刻、津々木捜査官の家に訪問して夕食をご馳走になると、

「じゃあ、そろそろ現場に行くか」捜査官は僕の腕を掴んで、彼の肩に回した。

「しっかりつかまっておけよ。それでは発進!」空間移動するのは初めての体験だった。

 これは、小津と対決した時に捜査官が見せた技だった。このような技術がいつ何処で、どのようにして開発されたのか知りたかったけれど、捜査官は何も知らなかった。

 空間移動が始まると、僅か数秒足らずで港湾埠頭に出現した。ところが、僕たちは危うく岸壁から海に落ちるところだった。それもそのはずで、現われた場所は岸壁のまさに際(きわ)だった。僕はバランスを崩す前に、捜査官の肩に回した腕をほどいたから助かった。でも、彼は前のめりのまま、腕を振り回しながら海に落ちていった。

慌てて手を差し伸べて彼を助け上げると、

「なんだよ、おめだげ助がって、おいはどうでもえってが? おっかながったよー、もうおめには二度と空間移動させでやらねがらな!」

「緯度経度座標の設定が甘いからこうなるんだよ」――

『やれやれだな。そのうえ、標高座標値を間違えでもしたら、もっと悲惨なことになっていた。地面の下に体が埋まることだってある。道路から首だけがのぞいている、なんてことになりかねない。そうなればホラー映画のワンシ-ンじゃないか』

 6月とはいえ、夜の海水温はそれほど高くはない。2人で岸壁に足をおろして座ると、捜査官は寒さに震えながら、服を雑巾のように絞っていた。僕はこの岬之町(はなのちょう)埠頭から、対岸の風師山の麓に見える明かりを1つ2つと数えて暇を潰した。

 今朝は、早起きしてFENにダイヤルを合わせた。その時に聴こえてきた、テリー・ジャックスの 『そよ風のバラード』 ※16 が頭に浮かんで、鼻歌を口ずさんだ。僕の背中越しには5階建ての水上警察署がある。そこには未来から派遣された“真鳥真吾”さんのオフィスが入っている。

 空気の対流で、対岸の明かりはかすかに揺らいでいる。目の前には黒く染まった海が静かに横たわる。そろそろ、津々木捜査官が待ち合わせた22時15分だった。でも、麻薬取締官の姿はどこにもない。―――何気なく海面を上から覗き込むと、底の方にぼやけた小さな光がうごめいていた。それは徐々に強く大きな光に成長した。そして突然、海中から手が出てきて僕の両足を掴んだ。僕は悲鳴を上げると、海に引きずり込まれないよう、体をのけぞらせて必死に抵抗を続けた。

 手は僕の足を伝って、岸壁の上に這い上がって来ると、ヘルメットを外そうともがいた。それは宇宙服のような大袈裟な潜水服で、外気との気圧差が邪魔をするのか、思うようにならないようだった。津々木捜査官は面倒くさそうに立ち上がると、ヘルメットを回して外してやった。すると、中から色白のイケメン男子が姿を現した。

「やあ、久し振りだな、真鳥取締官。しかし君は相変わらずの美男子だな。その王子様のような顔立ちとファッションセンスで、今も女性を虜にしているのだろう?」

「何を言っているんですか!今日はおとり捜査が功を奏して、密売船がこの埠頭に接岸したんですよ。だから、密売人から麻薬を譲り受けるタイミングで現行犯逮捕しようとしたんです。ところが張り込みの取締官たちの挙動で感づかれてしまった。彼らは服装や髪型が中途半端で、職業病とでも言いますか、鋭い眼光で人を睨む習慣がありますからね。それで奴らは、ブツを投げ捨てると海に飛び込んだのです。私は仕方なく潜水服を着て沈んだ証拠品を探していたということですよ・・・ほら、これがそのブツで・・・あれ? 密売人の船が見当たらないけど、何処かへ行ってしまったようだな・・・・・・」

 取締官は、白い粉が詰まったビニール袋を4つほど地面に並べると、潜水服を脱ぎ始めた。彼はロングヘアーに髭を貯えていて、服のセンスも抜群だった。まるで、色気のあるハリウッドセレブのようだ。津々木捜査官は、「全部で800グラムってところかな、これだと、末端価格にして2千万円は下らないよな?」

「まあ、そうですね。でもブツの押収や、密売人の検挙をするだけでは、効果は無いですから・・・・・・“泳がせ捜査”をすれば薬物の流れが把握できます。本件はあえて検挙せずに泳がせてみようと思います。そうすれば首謀者や密売組織の実態が明るみになるでしょう。一斉検挙すれば、密売収益も全て没収できますよ。私の目的は、あくまでも組織を壊滅に追い込むことなのです・・・」

「そういうことだな。君であれば、小津の支配下にある組織を摘発して、根こそぎ検挙できるだろう。小津はきっと破滅するよ。なぜなら、君は麻薬取締官の真鳥真吾だ。“マトリ”の“真鳥”だからな、“真鳥”が“マトリ”なのだから史上最強なんだよ!」

『まったく、津々木捜査官って人は・・・自分が考えたフレーズがよほど気にいったのか、ひとり悦に入っている。どうでもいい事を、何度も繰り返すところが、まだまだ子供なんだよなー』

「それじゃあ、今日の仕事も終わったことだし、私はこれからラウンジパーティに行かせてもらいます。トランス状態で踊る楽しさを一度覚えてしまうと、止められないですよ。そこの坊やもついてくるかい?遊び方を教えてあげよう、どうだい?」

「おいおい、おい!遊ぶのもほどほどにしておけよ。まさか押収した薬物をくすねたりしてないだろうな?マトリの中には、おとり捜査で得たブツで中毒患者になる職員がいると聞く。そういうのを“ミイラ取りがミイラになる”って言うんだ。くれぐれも人生を大切にしろよ!」

「分かっていますよ、私はそんなに馬鹿ではありませんから心配無用です。じゃあ、そろそろ行かないと友人が待っていますから・・・津々木さん、それではまた連絡しますね」

 他人が近くでこのやり取りを見ていたら、中学生が大人を説教しているようにしか見えなかっただろう。真鳥さんは背が高くスタイルは抜群だった。これだとモテぶりも半端ないに違いない。

「でも、真鳥さんも捜査官と同じでアバターを使っているんでしょう?実の姿はどうなのかな?」

「それがな、彼のアバターは本人と寸分違わないんだよ。年齢や姿を本人そのままにアバターにしてタイムリープしているんだ。少し変わった男でな、自惚れ屋さんなんだよ」

「どういう経歴の人なの?」

「確か法学部を卒業して入省している。年齢は26歳だから私より2歳下だな。職場では将来有望な若手のホープなんだよ」

「真鳥さんは僕の1つ上か――タイムリープやループなど、時間移動をする人たちが多くなると、見た目と年齢が釣り合わない人が多くなるね。でも真鳥さんの性格上、そこはブレたくないんだと思う。例えば見た目は10歳の少年だけど、実は80歳だったりする。そういう人に接すると対人知覚が混乱してしまいそうだよ」

「それはそれで面白いじゃないか、十人十色と言うだろう」

『???・・・津々木さんは、四字熟語が好きなようだけど、使い方が間違っているよなー』

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※16 『そよ風のバラード』(原題:Seasons In The Sun)は、カナダ出身のテリー・ジャックスが1973年12月にリリースした曲。ビルボードチャートでは3週連続で1位を獲得した。


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