tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第41話 月面着陸

               1974年12月22日 日曜

 赤江瀑先生の、2回目実習に参加するために、朝早くからバスに乗っていた。ただし、前回と違っているのは、今日は梅野くんと僕の2人だということ。

 昨日の土曜は、水産大学の“海洋学教室”を聴講して、1時間のランチミーティングを過ごした。その後、取り計らって頂いた越川教授に、口々にお礼を言うとキャンパスを後にした・・・・・・

「0.5グラム、そのわずかな量を分けて頂けないでしょうか?」食事を取りながらの質疑応答の時、愛原さんは教授に大胆なお願いをした。僕たちはお互い顔を見合わせた後、教授がどのように反応されるのか注目した。愛原さんは 『言うべきではなかったかな?』と後悔の念に駆られているように見えた。

 誰一人声を発しない時間が流れた。学食の厨房からは、食器を洗ったり片付けたりする音が響いている。教授はというと、両腕を組んで目を閉じたままだったが、やがて目を開けると、「探求心を持って取り組む人というのは、周りに刺激を与え、自分自身も成長できる。たいへん良いことだ。了解した!分けてあげることにしよう・・・ちなみに、アンバーグリスが高額だから躊躇したのではない。あくまでも研究用に頂いたものだから、研究の為にという、あなたの言葉を信じてのことだよ」

 僕たちは、先ほどまでの張り詰めた雰囲気から解放されると、和やかな空気に包まれた。終始心配な面持ちだった越川さんは、安堵の表情を浮かべて笑顔がこぼれた。

「ただし、ひとつ条件を付けよう。その新しい香りを作る研究について、レポートを作成してもらいたい。それを然るべきタイミングで提出してくれるかね。手間を掛けるが、私も研究成果に興味がある。年明け早々には、原料を渡せるように大学への手続きなどの準備を終わらせて、翔子に持たせようと思う。0.5グラムでは心もとないだろうから、その時には1グラムを用意しよう。レポートは君たちが協力して作成してもらって構わない。その新しい香りが完成するよう私も願っているよ」―――

―――乗車したバスは、海峡沿いの幾つものカーブを曲がりながら、今ではすっかり見慣れた風景を、車窓に映し出していた。昨日の夕方、水産大学から自宅に戻ると、赤江先生の都合をお聞きするために電話をかけた。

「お忙しいのに時間を作って頂きありがとうございます。ところで、ひとつお願いがあるのですが、明日は同級生を1人連れて行っても良いですか?」

「それは構わないが、君はなぜそう考えたのかね? 信頼のおける人物だと判断したのだと思うが、どうなのかね? タイムマシンという非日常的な、いや非現実的ともいえる乗り物を体験した時、人によっては突発的な不安や恐怖で混乱状態となる。また、それに伴う錯乱した行動を起こすことも十分考えられるのだよ」

「彼は何事も論理的に捉えて行動しますから、その点は心配に及びません。それに、引き起こされる奇異な現象や、秘密を知ったところで、自分を見失うことはないでしょう。その友人は、現在の私を救ってくれるだろう、重要な人物なのです。彼に協力者になってもらう為にも、アインシュタイン相対性理論を超えた、時空間概念を肌で感じてもらうのが一番だと考えました。ですから、タイムマシンの体験こそが早道だと思うのです」―――

 僕たちは県立高校前でバスを降りた。そこからは、校舎とグラウンドに挟まれた道を歩く。

「振り返ってみれば、確かにこれまでの君とは何か違っていた。強く感じたのは、去年の6月だった。一緒に登校して、下駄箱の前に立つと『上履きが無い!』と叫んでみたり、教室の入口で『僕の机がどこか思い出せない』なんて言ってたね。どこか変だとは思ったけれど、まさか別人にすり替わっていたなんて・・・でも、そんなあり得ない事が現実に起きていたんだ」

 先生のお宅へ向かう道すがら、もう少し話を続けた。僕がタイムリープによって、1973年の世界にやって来た日のことや、摩耶少年の身体に“意識スライド”という現象で入り込んだことを打ち明けた。僕は元の世界に戻りたいと熱望している。それが叶えば、少年の意識は戻り、以前の摩耶浩之になるだろうと説明した。その後、梅野くんは僕の話を噛み締めながら、疑問に思ったことを幾つか質問した。

「およそ理解できたと思うよ。それで、君の協力者になるのは良いけれど、具体的には何をすればいいのかな?」

「僕が何か実行しようとする時に、意見を聞かせて欲しい。正しい判断なのか?抜け落ちている問題点はないか? そんな客観的なアドバイスが僕にとっては心強いんだよ」

「わかった。頑張ってみるよ」 彼がそう言ってくれたのは、先生のお宅が見えてきた辺りだった。

 僕は先生と挨拶を交わして、梅野くんの紹介をした。先生は目を閉じて、早速タイムマシンを起動する準備に入った。そして目を閉じたまま話を始めた。

「今日の実習は、過去を検証することに加えて、未来への旅行を試そうと考えている。梅野くんは、時空間移動を体験してみてくれたまえ。タイムマシンを体感することで、これが非現実的な空想ではなく、現実なのだと確信してくれることを願うよ」

 暫くすると、僕たちは船内の大型モニターの前に立っていた。暗い船内は徐々に明るくなり、前方にある操作パネルには“1969年7月21日2時56分”と表示されていた。

「タイムマシンは過去や未来を旅行する機械だ。そして、時空間移動というからには、すなわち空間移動も自在だということなのだ。さて、大型モニターに映っているこの天体は月だよ。我々はさきほど地球を出発して、わずか1.3秒で月に到着したという訳だ。 地球と月との距離は38万km。光の速度は秒速30万kmだから、我々はここまで光の速さで移動したことになる。パネルの年月日を見て、今ここで何が起きようとしているのか分かるかね?」

アポロ11号が、月面着陸を試みているのではないですか?」 梅野くんがすかさず答えた。

「そうだ。月面に着陸するまさにその瞬間だ。目の前の操作パネルは、アームストロング船長が月面に降り立つ時刻を表示している。アームストロングとオルドリンは、着陸船『イーグル』で静かの海に降りた。2人はこれから21時間半を月面で過ごしたのちに離陸して、司令船『コロンビア』に合流することになる。そして地球へ帰還するために月軌道を離脱するのだ」

 この歴史的瞬間を、複数の補助ディスプレイが様々なアングルで映し出していた。 それを一通り見終えると、僕と梅野くんは顔を見合わせた。

「これだけ貴重なシーンを、直に目撃するなんて信じられない。夢ではないかと、疑いたくもなりますね」 梅野くんは、歴史的なシーンを目の当たりにして、驚きを隠せず先生に感想を語った。

「これを見て夢だと思うかね? 『アポロ11号は、実は月に行っていない。スタジオでセットを組んで着陸シーンなどを撮影したのだ』このような陰謀説がささやかれたりもする。つまり、完璧に仕組まれたフェイク映像だと疑う人が、少なからず存在するのだ。公開された画像を見て、捏造と決めつける行為も絶えない・・・・・・君たちが今ここで目撃したことは、あらゆる角度から全てマシンに記録されている。これで真偽の判定はたやすい。我々の周りを見たまえ! 数多くのタイムマシンが未来から飛来してきて、近くに浮遊して観察しているだろう? 捏造だとすれば、このような事はありえない」

 その後、僕たちのタイムマシンは木星の第1衛星『イオ』へと向かった。月から木星までの距離は、7億7千8百万kmとパネルに表示されている。アポロ11号の巡航速度である、秒速11キロメートルで向かえば、2年2ヵ月かかる。光速であれば所要時間は25分。ところがこのマシンは16分40秒で到着した。光の速さの1.5倍の速度が出ていたことになる。

「梅野くん、光速をはるかに超えて、17分足らずで木星に到着しているよ。僕も初めての体験だったけれど、これはアインシュタイン特殊相対性理論で主張した、“宇宙における最大速度の光速度を超えて物質が移動することはできない”、という理論を打ち破っている。僕は、2043年では新たな理論を追求する量子力学研究所に勤務していたから、この分野には少し詳しいんだ。遥か先の未来は、量子物理学を発展させることができた。そして人類は、光速を超える宇宙船やタイムマシンを開発したということだね」

 梅野くんは苦笑いを浮かべながらこう言った。

「僕は目の前の現実を、当然のこととして受け入れる他ないと悟ったよ。だから余計なことは考えないことにした。そうでなければ、自己認識や自己存在意義は崩壊してしまうだろう。これは僕の人生観を変えてしまった貴重な体験だよ」

 先生は、大型モニターを指差して説明してくれた。

「ここに映し出されたのは、木星の衛星イオだ。時代は西暦2800年。人類は此処にコロニーを建設して数千万人が生活している。もう少し近づいてみると分かるが、非常にバランスの取れた計画に基づいた都市が形成されている」―――

「さあ、2回目の実習を終わりにして、そろそろ家に戻ることにしよう」先生はそう言うと、速度を光速の1.2倍に設定して発進した。

 地球に帰還する途中、僕の脳に埋め込まれたチップから、何か音が聴こえてきた。 途切れ途切れに雑音が入ってくる。次第にそれは、人間の声のようなものに変わった。

『兄貴、聞こえるかい?聞こえたら返事をしてくれよ!弟の敢太(かんた)だよ。陵汰兄ちゃんは今どこにいるんだよ?』・・・・・・幻聴なのだろうと思った。

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