tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第36話 再会

               1974年11月10日 日曜

 気が付けば、車窓から見る道沿いの街路樹が色づきを見せていた。そして山の色彩も秋色に染まる準備を始めているようだ。これから秋が徐々に深まりを見せると、青空と紅葉のコントラストは、美しい風景画にとって大切な要素となる。

 僕は赤江瀑(あかえばく)先生に再び会うために、唐戸桟橋前の停留所までバスに揺られていた。停留所で降りると、バスを乗り換えるまで桟橋の先を眺めた。海峡を挟んだ対岸の門司港と和布刈(めかり)神社が、澄んだ冷ややかな空気を通して鮮明な姿を見せていた。思い起こせば、先生に初めてお目に掛かったのは、薫風(くんぷう)香る萌え立つ若葉の頃だった。それが今では秋の匂いに包まれて、どこか寂しさを感じてしまう季節へと移っていた。

 櫛崎(くしざき)城跡の上にそびえるクジラ館が目に入ると、県立高校前でバスを降りる。そして横断歩道を渡って、豊功(とよこう)神社の手前まで歩く。高校のグラウンドでは、野球部員が監督から厳しいノック指導を受けていた。そこから右に曲がって坂道を上がれば、赤色屋根の家が見えてくる。前回とは違って、今日は事前に電話でアポを取っていた。玄関前の庭を、腕組みをしてゆっくりとした歩調で歩いている先生の姿があった。

「おはようございます。先生、お久しぶりです」

「やあ、摩耶くんこと鹿間くん。元気にしていたかい?今日は良い天気だな。このような日は、屋外に出て君と散策しながら語り合うのが一番だろう。まずは崖下の海岸まで降りてみよう」

 そうは言っても、切り立った断崖絶壁の下には直接降りることはできない。豊功神社の手前まで戻り、茂みに覆われたトンネルのような道を真っ直ぐに進むと、目の前が開けてきて、静かな海岸線にたどりついた。櫛崎城跡の方向に歩いて行けば、崖の上に先生のご自宅が見えて来る。

「鹿間くん、君は何か事情を抱えた“時の旅人”ってところだな? かくいう私も、時間旅行を経験している人間ではある。そうであるから、知見を共有した上で、君が望む解決策を導き出すことも可能だろうと思っているよ」

 僕はある日突然、予期しないタイムリープによって、70年前の1973年へ跳躍していた。そして意識スライドと思われる現象によって、少年の意識を押しのけて僕の意識が入り込んだ。それ以来、他人になりすました生活を余儀なくされ、すでに1年余りが経過している。しかし、僕は元の世界に帰りたいと願ってやまない。だからその方法を知りたいと、日々模索していることを先生に以前打ち明けていた。

 波打ち際の岩にあたる波音は、静かに何度も繰り返されるが、たまに大きな音を出して、しぶきを上げる波もある。

 崖から生えている松の木を見上げる場所には、誰が設置したのだろうか、ベンチが据えられていた。そのベンチに2人で座ると、やさしい海風が松の木特有の香りを運んでくれた。暫くすると先生は、海峡の鼓動を直に感じながら、静かに僕に語りかけた。

「元の世界に戻りたいと言うのだね? 君も気が付いているだろうが、この世界には時間旅行者が数多く存在している。彼らの中には、未来や過去へタイムリープを繰り返す者がある。更に、いつ終わるとも知れない、人生の繰り返しを強いられている者たちには、タイムループを運命だと悟り、永遠の命を授かったのだと前向きに考える者もいる」

『長谷寛人くんもタイムループを繰り返すひとりだ。彼は、それを自然のことだと受け入れたことで、ストレスを抱えることなく生きている』

「時間とは、人間が作り出した幻想なのかも知れないよ。禅僧である道元は、『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)(※注35)の巻の一つである、『有時』(うじき)において、時間とは自己の存在を知ることであり、自己を知ることができるのは、自己が存在する現在だけであると述べている。現在という“今”は、過去、未来すべてを含んだ上で成り立つ“今”であり、それらは別々ではないという。すなわち“今”が全てであると―――過去や未来とは空虚な幻だと言っているように聞こえる」

 僕は先生が語る深い話に関心を示しつつ、現在の心情を伝えたくて話を切り返した。

「私は人間や世界の本質を問うような、哲学的考え方をまだ十分に理解出来ていません。現実に存在していた私の住む2043年は、現時点の延長線上にある未来だと信じています。此処という過去から繋がった先の未来は、間違いなく存在しているはずだと考えます」

「なるほど、遠くの地に離れたとしても、いつかはこの海峡の町に回帰すると私が願っていたように、君も元の世界への回帰願望が強いのだね。未来で見聞きしていたもの全てが君の世界であり、それこそが鹿間くん、本来あるべき君の舞台なのだ」

「ありがとうございます。それに、僕が元の世界に帰ることで、心と体を奪われた摩耶少年を回復させることができる。それも動機のひとつなのです。星霜には悠久の時が流れていますが、そこに、あまねく身をゆだねている訳にはいかないのです。少なくとも今の僕には、現実を受け止める覚悟はありません」

 静かに繰り返す波音が突然大きな音となって、辺り一面にしぶきが飛び散った。まるで場面転換をしろと要求しているかのようだった。先生はひとつ提案があると言って、会話を再開した。

「どうだろう、わたしと一緒に旅をしてみないか?私はね、タイムリープを経験していると言ったが、今ではタイムマシンを使って旅行をすることができるのだよ。遥か未来に行ってタイムマシンの扱い方を教わり、その装置を体内に埋め込んでもらったのだ」

「そうだったのですか。やはり装置という概念は時代により移り変わるものですね。それは体内埋め込み型デバイスが進化したものでしょう。体内に埋め込んだというのは、大脳皮質あたりに装着させた小さなチップではないでしょうか?しかもそれは宇宙船を動かすだけの推進力と、科学技術の粋を集めた高度なテクノロジーを装備している。それでいて、目の網膜ディスプレイに投影されるインターフェイスはとても扱いやすい。要求事項を念じるだけで、装置を自在に動かすことができるのではないですか?」

「驚いたな!全く君の推測通りだよ。実は西暦2300年の世界に跳躍したのだが、その時は君と同じように他人へ“意識スライド”をした。300年後の世界では、過去からやってくる人間が数多くいる。それだけに、あらゆる時間旅行者を検知すると、政府がエージェントを派遣するのだ。そして、旅行者に対して十分なケアを行う。時間旅行規則を教育した後に、元の世界に戻すという社会システムが機能している」

「それはすばらしいですね!未来は、時間旅行に関してそこまで進化しているのですね。時間旅行規則というのはたいへん興味深いです。どうしてそのような規則が生まれたのでしょうか?」

「それは、時間旅行者に歴史を変えさせないという考えだよ。実は旅行者が歴史を変えるような行為を行ったとしても歴史は変わらないのだが・・・なぜかというと、そのような行為が発生した時点で世界は分岐してしまう。いわゆるパラレルワールド(並行世界)が新たに1つ生まれるだけなのだ。歴史を変えようとした者は、分岐点から新たに生まれたパラレルワールドに迷い込むことになる。自分がいた元の世界は何も影響を受けない。どの時間軸で歴史を変えようとしても無駄でしかなく、歴史を変えようとした者は、元の世界に帰ることができなくなる。むやみにパラレルワールドを増やさず、元の世界に戻れなくなる者を、これ以上出さない為の規則なんだよ」

 先生は閉じていた瞼(まぶた)を開くと、海峡の彼方を指差した。

「準備はできた。鹿間くん、では出発することにしよう」 

 いったい、これから先生はどの時代に僕を連れて行ってくれるのだろう?どこに行くのか考えただけでもワクワク感が止まらなかった。

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(※注35)『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)とは、鎌倉時代初期の禅僧で日本曹洞宗の開祖である、道元が執筆した仏教思想書。生涯をかけて著した日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。