tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

最終47話 汽笛

       1975年3月20日 木曜

 遠くで走る列車の汽笛が聞こえてきた。 ベッドから起き上がって机の置時計を見ると、午前4時21分だった。 最近は蒸気機関車を見る機会がずいぶん減ったと思う。 国鉄は「無煙化」を進めているから、『DD51形』(※注42)などのディーゼル機関車に置き換わっている。

 漁業が盛んな山陰本線の北浦地区からは、漁師の妻たちが毎朝列車に乗って、下関駅まで出かけていた。列車の中では、カニイカなど海産物を入れた籠やバケツを持って、乗客に声をかけながら販売する。早朝にもかかわらず、列車の中は活気に満ちていて、その光景は、山陰本線の名物と呼ばれている。

 勉強部屋の照明を明るくしたあと、キッチンに行った。ポットでお湯を沸かすと、インスタントコーヒーを入れたマグカップにお湯を注いだ。部屋に戻ると机に座り、マグカップに両手を添えて手のひらを温めると、体が冷えていたことに気がついた。この時期なら、例年はもっと暖かくなっているはずなのに、室温計を見ると4度しかなくて肌寒い。

 カーテンの隙間からは、静寂の夜が見えるけれど、雨音は聞こえてこない。そういえば、あの時は部屋の光に反射する雨粒が、小さな銀の矢となって地面に打ちつけていた。あれから2年近く経ったというのに、あの日のことが忘れられない。今日で630日をこの世界で過ごしてきた―――突然見知らぬ世界に放り出された僕は、動揺を覚えながらも抗(あらが)えない運命を受け入れるしかなかった。こうして、他人を演じることに徹する生き方を余儀なくされた。

 AIロボット“クロノスC―931”は、先月の2月11日に僕を助けてくれた。テクノロジーは夢を現実のものに変えて進化を続ける。今から400年先の先端技術は、僕に70年後の世界に戻るチャンスを与えてくれた。でも、そのチャンスは何度も訪れることはないだろう。なんとしても、僕は本来の時代に戻らなくてはならない。

 2月13日の放課後、とあるメンバーは理科室に集合していた。梅野くんは調合をやり直さなければならないと、みんなに言った。そして、アンバーグリスを電気分解する必要性について、丁寧に説明をした。

 理科室のドアを開けて、5組の日景一洋くんが遅れて入って来た。「どんな電気分解装置を作るんだい?正確な設計図があれば作れないでもないけど・・・」 彼の疑問に答えるために、僕は用意していた設計図を、慌てて机の上に広げた。

「装置に必要な材料は、電極にする炭素などの金属線や棒、電解槽を作るのに必要なU字管などだね。あと、電源装置や電解液なども準備しなければならない」

 設計図をのぞき込んで聞いていた日景くんは 「電源装置は僕が持っているもので代用できるな。それから電解液は塩化ナトリウム水溶液で十分だと思うよ。ほかに必要な材料は購入することにしよう。これを完成させるのは、期末テスト明けの2月26日でどうだろう?」

 こうして週末は、日景くんと梅野くん、それに僕の3人で、“唐戸無線”に行って材料を揃えた。テスト明けの26日放課後、日景くんは完成品を理科室に持ち込んだ。それは電気メーカーが製作したかのような見事な出来栄えだった。電解槽は透明なガラス製で、中は塩化ナトリウム水溶液で満たされている。電極は炭素の棒で、両端には金属線が巻いてある。電源装置は小型のアダプターで、コンセントに差し込むだけで作動した。 日景くんは、早速電気分解を開始した―――――

―――――「電気分解は終わったようね?さあ、次は私たちの出番よ。摩耶くん、アンバーグリスの調合量は、前回のレシピ通りでいいのかな?」愛原さんは念のために僕に確認をした。

「うん。量的には前回と変わりないと思うんだ。ただし香りは前回のボトルよりも芳醇(ほうじゅん)な香りでなければならない。だから微妙な量を足すなどの調整が必要になってくると思う」

「そうなの?これは大変だわ!みんなで協力してなんとか頑張らないと・・・」

「そうだね。アンバーグリスは貴重な素材だから、無駄にしないように注意するんだ。 でも、成功すれば、摩耶くんだけではなく、僕たちにとっても素晴らしい成果になるはずだよ」梅野くんは目を輝かせて言った。

 越川さんは嬉しそうな表情をしていた。「この香水は私たちの誇りだもの。父親に自信を持ってレポートが提出できる。最後の頑張りで、どんな香りに仕上がるのかと想像すると、ドキドキが収まらないわ」

「なんだよ!みんなとても楽しそうじゃないか。僕も混ぜてくれよ」・・・日景くんもメンバーとなった―――

 コーヒーを入れ直すためにもう一度キッチンに向かった。掛け時計は5時15分を指している。再び勉強部屋に戻ると、カーテンを引いて窓を開けてみた。冷たい空気が、温まりかけていた部屋の空気と入れ替わった。同時に身がきゅっと締まる感覚に襲われる。暗かった空はうっすらと白み始めていた。

 摩耶家の家族には、良い時も悪い時もお世話になった。特に少年の母親は、常に厳しく僕を鍛えてくれた。時には、おかず無しの白ごはん弁当を作り続けるなど、ヒステリックの極みとも思える、親子のせめぎ合いに巻き込まれたけれど、それが彼女なりの愛情だったのかも知れないと、今では思える。

 津々木捜査官と真鳥さんは、3月7日の夕刻に2060年の未来へと帰って行った。津々木捜査官は懸案だった小津を逮捕して、彼の組織を壊滅させることに成功した。ようやく家族の元へ戻ることが決まってとても嬉しそうだった。

「いやーっ、今回の捜査はながかったべ。やっと家に帰れるようになった。警察庁のスタッフもよろこんでるべ。これも鹿間くんたちの協力があってのことだべな。落ち着いたら2060年の世界に遊びにきてけろ」 

 こうして津々木家のメンバーは旅立ったけれども、津々木捜査官は、この世界で関係のあった人々の記憶から、自分たちの存在を消去することを忘れなかった。

 真鳥捜査官は、未来の犯罪者を追跡するために必要なパートナーだと、アキラに言い聞かせていた。アキラは、沖縄で偶然発見した古代遺跡から得た秘密の装置によって、時間旅行をする能力を身に着けていた。ところが、彼は未来へ行くことに恐怖と嫌悪を感じていた。それでも真鳥捜査官の熱心な説得に押されると、しぶしぶ納得して2060年の世界へ旅立った。

 3月9日、僕は赤江瀑先生の家にある書斎に案内されていた。先生は僕の尊敬する作家であり、小説以外にも時空間理論など、多くの知識とアドバイスを与えてくれた人だった。何よりもタイムマシンを自ら操縦して、時間旅行を実践してくれたことは、生涯忘れることはないだろう。

 書斎から見える関門海峡は早春の風景だった。おだやかな潮の流れに多くの船が行き交っている。先生は窓辺に座って海峡を眺めながら、様々なことについて話してくれた。「この海峡はね、私にとって特別な場所なんだ。君は君で特別な場所である未来に行く時が来たようだね。また会えることを楽しみにしているよ」 と言ってくれた。それは僕への最後の言葉だった。僕は涙のせいで先生の姿がぼやけていた。

 終業式を来週に控えている3月14日。理科室に集合したメンバーは、ようやく完成したと思われるボトルをのぞき込んでいた。 最初に作ったボトルと調合の度合いは大きく違っていないのに、間違いなく芳醇さは増している。

「このボトルは完成品だな」と僕が言うと、「跳躍して検証してみなければ分からないのでは?」と、梅野くんは首をかしげた。

「大丈夫!実は昨日の夜、弟に連絡をしたんだ。弟の敢太が、新たに入手した極秘のレシピと照合すると完全に一致していた」そう打ち明けると、梅野くんは納得の表情になった。

「摩耶くん良かったね。でもいつかまた会える日が来るわよ。それまで楽しみにしているわ」そう越川さんは言ってくれた。

「時間旅行に興味が湧いてきたよ。もっと勉強して、いつかタイムマシンを作ってみるか?!」日景くんは笑顔を浮かべている。

 愛原さんは心配顔で僕に問いかけてきた。「時をかける少女では、未来人の深町くんは元の時代に帰る時、関わった全ての人の記憶を消したでしょ? 摩耶くんもそうするの?」

「僕は高度な技術を持っていないからそんなことはしないよ。それにね、元の世界に戻るもうひとつの目的は、どこかに行ってしまった摩耶浩之くんの意識を、一刻も早くこの体に戻すことなんだ。僕は来週の終業式までに、この世界から消えることになる。 そうすると摩耶浩之くんの意識は元通りになる。でも、彼は2年近くの記憶を持っていない。もし、彼が困っているところを見かけたら助けてくれると嬉しいな。だから僕が消えた後も、みんなの記憶は残っていて欲しいんだ」

「鹿間陵汰くん。今後の摩耶浩之くんのことは僕たちに任せてくれるかい?なんといっても“近所3人組”だからね」梅野くんは僕と固い握手を交わしてくれた。

 理科室を出て教室に戻ると、南校舎からギターの音色が聴こえてきた。それは、十川くんと桜坂くんの夕暮れの演奏会だった。持ち歌は増えていて、聴衆は教室に入りきれないほどになっていた。そしてそこには、長谷寛人くんの姿があった。彼は僕に気が付くと話しかけてくれた。

「風の噂で聞いたんだけど、もう未来に帰るらしいね?僕だったら、70年間を何度も楽しんでから元の人生を送るけどね。まぁ、人それぞれだから、君の好きなようにすればいいってことだな。少し寂しいけどね」 長谷くんらしい言葉だった。

 机の置時計を見ると、5時50分になっている。夜は明けて静かな朝を迎えていた。 少年の母親が、鼻歌交じりに朝仕度を始めたようで、ガチャガチャと慌ただしい音がキッチンから聞こえてくる。

 何度となく悩んだ。僕はいつも元の世界が恋しくて、いつまでも星霜に棲むという覚悟をを見送った。“星霜に棲む”と決めた人たちが、数多くいることを知ったにも関わらず・・・・・・

 なかば永遠の命を授かって暮らす人までいる。今は受け入れられなくても、考えが変わることがあるかも知れないけれど。僕は名古屋に住む相川さんとは、人生について、これまで何度も議論を繰り返してきた。その相川さんには、3月20日に旅立つことを手紙で伝えて、別れを告げた。

 そうだ、敢ちゃんにも連絡を入れてみよう・・・「あと10分で帰るからね。ようやく会えるなぁ。ねえ敢ちゃん。夏休みに入ったら一緒に実家に帰ろうよ。久しぶりに家族みんなで“えびめし”を食べたいんだ」

「それはいいね!でも“えびめし”だけじゃ物足りないな。僕は“デミカツ丼”も追加するぞ!」

「食いしん坊くん!それから南米のリゾート地に行ってみないか?リオデジャネイロの“コパカバーナ”※注24 で、日光浴ができたら最高だよ」

「どこも海洋汚染されているから海には入れないよね?僕はそれよりもキューバハバナで異国情緒を味わってみたいな」

「だったらこれはどうだろう?ニューヨークのマンハッタンにあるクラブ 『コパカバーナ』でカクテルを楽しむというのは・・・そこは踊れるし、ビュッフェがあるからお腹いっぱいにもなれるよ。それにね・・・・・・・・・」

 

 次の下り列車が汽笛を鳴らすとき、元の世界へ戻ると決めていた。別れと再会を告げる旅立ちの音色が、もうすぐ聞こえてくるはずだ―――

 

―――3月20日木曜6時23分。勉強部屋の机に座ったまま、僕はひとり静かにこの世界を去っていった。

 

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The end credits song is Copacabana.

※注24 コパカバーナビーチは、リオデジャネイロにある全長4kmにわたる白い砂浜。 1978年にバリー・マニロウが発表した楽曲では、その名にちなんだニューヨークのナイトクラブ、『コパカバーナ』での出来事を歌っている。この曲は1979年のグラミー賞を受賞した。

このビーチの名前をとったライブハウスは、1940年にオープンした歴史あるクラブ。 ラテン音楽サルサダンスを楽しむことができ、ビュッフェやドリンクが提供されている。しかし残念ながら、2020年に新型コロナウイルスの影響で一時的に閉店した。再開の予定は不明。

(※注42) 「DD51形」は、日本国有鉄道によって1962年から1978年にかけて製造された液体式ディーゼル機関車

 

∞∞∞∞ あとがき ∞∞∞∞

最終話までお付き合いいただきましてありがとうございます。今後は、星霜に棲むという覚悟~Time Without End~をコンセプトにした短編小説などを投稿したいと考えています。準備期間を置いて開始する予定です。不定期になるかも知れませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

The End Credits Song Is Copacabana.


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