tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第38話 植物由来

               1974年12月7日 土曜

 2時間目の授業が始まっている。理科教師の林多先生は、か細い声で話す物静かなタイプだから、注意しておかないと大事なところを聞き逃してしまう。先生は生真面目に淡々と授業を進めてくれるけれど、どうも頭に入らない。 

 相川さんから届いた手紙を読んだあとの僕は、明け方まで一睡もしていない。なぜなら、予想だにしない事実を知ったことで、睡魔がどこかに逃げてしまったからだった。

 翌朝、登校はしたけれど、動揺はいまだに収まっていなかった。相川さんの報告が頭の中で渦巻いて、授業は上の空でしかなかった。僕の“意識”は、手紙の内容に考えをめぐらすのに精一杯だったから、今日の授業は“無意識”に任せておくことにした。

 小津真琴があの会社“キュビットシステム”で働いていたなんて・・・・・・全くもって想定外だった。元の世界での様々な記憶が浮かんでくる。そうするうちに、これまで分からなかった事柄が、ひとつずつ符合していった。

 相川さんは手紙にこのように記していた。

『小津真琴は2015年9月11日生まれ。大学院を卒業して“キュビットシステム”に2040年4月に入社。配属先は、生物工学研究所だと言っていたわ。そうすると、あなたが2019年4月22日生まれだから、彼はあなたより4歳年上になる。そして、あなたが2042年4月入社だから、彼は会社では2年先輩になるわね』

『彼は私を連れ立って、2060年の未来から私が小学5年生だった時代、つまり1971年にタイムリープした。私は私の11歳の身体に跳躍したけど、彼は小津真琴という11歳の少年の身体に“意識スライド”した。当然のことだけど、小津真琴という名は“意識スライド”によって入り込んだ少年の名だから、彼の本名は小津真琴ではない。会社で思い当るような人はいる? いずれにしても、彼があなたのタイムリープに関与したとみるべきだわ。そして、小津が超高速通信技術について、うんちくを語っていたのも気になる。 もしかすると、通信遮断の原因は小津にあるのかも知れない』

 僕は“キュビットシステム”の研究開発部門で勤務していた。研究開発エリアには、複数の研究棟がある。生物工学研究所は、僕が所属していた量子力学研究所と同じ建物内にあった。だとすると、小津真琴に意識スライドする人物と、何度も出会っていたことになる。でも、小津とは外見も違えば名前も違うのだから、思い出すのはそう簡単ではない。

 僕は初めてタイムリープをした夜の事を思い返してみた。

『ほのかに漂う匂いは何処かで嗅いだことのある香りだった。ゆっくりと鼻をかすめていくと、深い闇の中に沈んでいた感覚と意識が刺激された・・・・・・僕は覚醒した。そしてゆっくりとベッドから起き上がった』その時に漂っていた香りには記憶があった。その後、小津真琴に初めて出会った時にも同じ匂いがした。それはラベンダーの香りのようだった。

 そうか、生物工学分野で働いていたのか。生物工学には、細胞工学、分子生物学、環境生物工学などの専門分野がある。中でも分子生物学は、植物や微生物の細胞の機能を解明して、新たな医薬品など高機能化学品の開発を行う。その人物は研究所で、時間跳躍を可能にする薬品を開発していたのではないだろうか?

 僕がいたセクションには、最新の量子コンピュータがある。様々な解析の依頼が、毎日のように多くの部署から舞い込んでくる。コンピュータ解析は、シミュレーションや最適化に大きな力を発揮する。薬品を開発する為に、その人物は僕のいたセクションに出入りしていたはずだ。そして植物由来の原料から、タイムリープへと誘う薬剤を完成させたのだろう。

 脳内にある記憶を呼び起こしたら、何度も記憶をトレースする。すると、ぼんやりではあるが、生物工学研究所に勤務する人物の輪郭が浮かび上がってくる。

 薬剤として承認を得るためには、一般的にはヒトを対象とした治験で、安全性や有効性を確認しなければならない。そして国の審査を経て、はじめて薬品として販売が可能になる。基礎研究から完成までには10年から15年の歳月が必要だし、そもそもタイムリープの治験など危険が大きすぎて、参加する者がいるとは思えない。参加者がいなければ、薬剤作りは頓挫してしまうだろう。

・・・・・・開発者は跳躍が失敗した時の怖さを誰よりも知っているはずだから、自らが被験者になろうとは思わないだろう。彼らには、何らかの理由で焦りがあったのかも知れない・・・・・・そうして、身近の人間を勝手に被験者にしようと考えたのかも知れない。

 以前、授業中に何となく次のように思いを巡らしたことがあった。『僕は用済みの男なのかもしれない。“意識スライド”を伴ったタイムリープでこの世界に突然跳ばされた。元の世界の誰かによって放り出されたのではないだろうか?』 

 推測してみよう・・・彼らは研究棟のどこかで、香りを発する薬剤を僕の身体に付着させた。そして2043年6月29日未明に、その治験は実行された。僕の意識は、時空を超えて70年前の少年の身体に意識スライドしてしまった。

治験はどのようなプロセスで実施されたのか?

その後、完成した薬剤は世に出たのか?

僕のチップとサーバーとの通信を遮断する理由とは、いったい何か?

 不可解であり、はっきりしない点はまだ幾つも残っている。それでもひとつひとつが明らかになれば、いずれ謎は解き明かされるだろう。

 相変わらず、か細い声で林多先生は授業を進めている。先生は、化学実験のプロセスを黒板に描いていた。物質と物質を分ける分離操作、“ろ過”の図表を書き終えたところで、2時間目の授業は終わった。

 4時間目が終了すると、今日は土曜日だから下校することになる。実は先月の事になるけれど、僕はバレーボール部を退部した。退部を申し出るために、職員室に監督を訪ねて行くと、『そうですか』と、簡単に済ませてはくれなかった。

 なぜ退部するのか理由を説明しろと言われたので、「受験勉強が忙しくなったので辞めたいと思います」と、ありきたりな返事をした。「10月の新人戦でレギュラーになれなかったからだろう? 芽が出ないことがそんなに悔しいのか? おまえの努力が足りないだけだ!」と言われた。ここで、『そうです』と言っておけば無難に終わったかも知れない。

 でも僕は、「放課後をもっと自由に、有効に過ごしたいからです」と、余計なことを口にしたものだから、監督は激怒した。「なんだと?おまえは腐ったリンゴだ。部員達に悪影響を及ぼす前に、すぐさま辞めろ!」後味は悪いものの、こうしてなんとか職員室から解放された。澤田京一くんや早志将義くんは心配して「残念だな」と言ってくれた。でも退部したことで、元の世界に帰る為の、様々な取り組みに使う時間が増えたことになる。

 今は、部活から解放されている12月7日土曜の放課後。下足に履き替えようと、下駄箱の前に立った時、西校舎から愛原京子さんが出てくるのが見えた。彼女は僕に気がつくとこちらに歩いてきた。

「昨日は対象をもっと拡げて調べると、私は言ったでしょ? でもね、あれから色々と考えてみたのよ。ラベンダーに似た香りを探すのは、様々な草花を調べることだけじゃない。複数の香りを調合して、求める香りを作り出すという方法だってあるのよ。これどう思う?」

「なるほど気が付かなかったけど、それもそうだよね」

「私の家は多くの草花を植えているでしょ?そして多くのアロマオイルを置いている。 以前、母親が話していたのを思い出したわ。ある日、見知らぬ老人がアロマオイルを売って欲しいと訪ねてきた。その老人は、ラベンダー、ローズマリー、白檀(ビャクダン)、ゼラニウム、4種のオイルを手に入れると、お金を置いて去っていった」

「その話はなんだか気になるね」

「そう!そうなのよ。その4種のオイルをこれから準備してみるわ。摩耶くんはこれを調整しながら、求める香りを作ってみたらどうだろう?」

「わかった。じゃ、愛原さんには面倒を掛けるけど準備をお願いします」

「小説『時をかける少女』だと、ラベンダーから有効成分を抽出して、水溶液に混ぜていると薬剤が完成していたわね。でも現実はそう簡単にいかないということよ。さあ、もう少し頑張りましょう」

 彼女には、香りを探す目的や僕の事情など、何も説明していない。なのに、全てを知っているように思えて仕方がない。もしかすると、彼女もタイムリーパーなのだろうか?

 アロマオイルを売って欲しいと愛原さん宅に訪ねてきた老人は、おそらく小津真琴だろう。彼は在庫不足などの理由で、必要となった4種のオイルを探し求めた。メタモルフォーゼ処理によって、老人の姿になった小津が訪問したのに違いないと思った。

★――――――――――――――――★