tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第27話 小説家

               1974年5月19日 日曜

 4月22日に誕生日を迎え、25歳の中学2年生になった僕は、唐戸桟橋のある街までバスに揺られていた。唐戸には市庁舎があるから、人の往来が多くバス路線の分岐点になっている。桟橋からは、対岸の門司港まで連絡船が頻繁に行き交う。

 バスの車窓から見る、みずみずしい若葉は、道沿いの街路樹をつややかに魅せる。 遠くの山々では、たくさんの草木が芽吹く。青空に向かって萌え立つ様子は、初夏ならではの風景で、何か良いことが起こる予感さえ抱かせてくれる。

 唐戸停留所で降りると、バスを乗り換えることになる。その前に、停留所そばにある“旧英国領事館”を見ておきたかった。それは、現存する国内最古の領事館用途の建築物で、2階建ての赤い煉瓦造りだった。周辺にも幾つか立つ、レトロな洋館との相乗効果で、領事館一帯は、関門海峡を望む異国情緒的空間を演出している。

 ひとまわり見て回ると、バスを乗り換えて、海峡に沿った道を北東方向に進んだ。 暫くして、前方に白い大きな吊り橋が現れると、バスは“みもすそ川停留所に停車した。車窓から人道トンネル入口のある広場が見える。眼の前に広がる海峡一帯は、平安時代末期、1185年に壇ノ浦の戦いが繰り広げられた場所だった。そして先月の4月22日、僕の誕生日には、アンダーワールドの小津部隊と、津々木捜査官率いる時間犯罪警察局のメンバーがここで対峙した。合戦によって、栄華を誇った平家は滅亡に至ったけれど、しぶとい小津部隊は、平家のように滅亡するのだろうか?

 バスは再び発車すると、海峡沿いの道を更に進んだ。カーブを幾つか曲がったところで、右手にスケートリンクを備えたレジャーランドが見えてきた。隣接して市立水族館があり、海に突き出た半島の小高い山頂には、シロナガスクジラをモデルにしたモニュメントが立っている。その、尾をはね上げたクジラの姿は、体長が25メートルあって、重さは130トンという鉄筋コンクリートで作られたものだった。

 櫛崎(くしざき)城という昔の城跡に、このクジラ館は建てられている。櫛崎城は海峡を望む要衝として、周防灘に突き出した半島の高台に築かれた城だった。城のエリアは、北側の豊功(とよこう)神社にまで及んでいる。現在は海岸側に住宅が点在して、国道側には広大な敷地の県立高校がある。

 少年の父親は、図書館で本を借りてくれるだけでなく、僕が好むような本を書店で買ってきてくれる。最近の僕は単行本や文庫本だけでなく、小説現代文藝春秋などの、月刊文芸誌を読むことが多くなった。なぜなら、新進気鋭の作家達が描く世界が、早く体験できると思ったからだった。

 1970年代という時代は、個人情報の取り扱いが驚くほど緩やかだった。文芸誌の著者紹介欄を見ると、当たり前のように本名や現住所が掲載されている。電話番号だって調べればすぐにわかる。しかしそうであっても、推しの作家が同郷の人だと知れば、思い入れが深まることだってある。

 水族館前を過ぎて、次の県立高校前でバスを降りた。横断歩道を渡って、高校の校舎とグラウンドを分けるように通る一本道を歩いた。高校の敷地を過ぎたあたりには、小高い台地が南北に横たわっている。櫛崎城の石垣跡を通り過ぎて左に曲がり、坂道を上がれば豊功神社が見えてくる。

 此処からは、手前に干珠島(かんじゅしま)、その先に満珠島(まんじゅしま)という、2つの小さな無人島が見える。この2つの島は忌宮(いみのみや)神社の飛び地境内で、立ち入ることはできない。ややこしいことに、どちらが満珠でどちらが干珠なのかはっきりしていないという。だから、地図によって表記が異なっている。地元の人は「満珠・干珠」と併せて呼んでいて、特に区別をしていないらしい。

 神社を後にして、台地の南側に点在している住宅エリアに向かった。玄関の表札や郵便ポストを頼りに15件ほど回っただろうか、赤色屋根の一軒屋にたどり着いた。海岸から切り立った崖の上にあるその家は、玄関から白い砂浜を見おろし、海峡を一望のもとに見渡すことができた。

 初めての訪問は、大胆にもアポなしだった。雑誌に載っていた住所を頼って来たけれど、先生が在宅されているとは限らない。いらしたとしても、どこの馬の骨ともわからない者に会ってくれるという保証はない。

 玄関横に赤いポストが掛けられている。そこには油性マジックで『長谷川敬』 (※注16) と書かれていて、その下にはカッコ書きで『赤江瀑』 (※注16) とあった。僕は深呼吸を2度ほど繰り返すと、ドアをノックした。

「ごめんください」そしてもう一度「ごめんください!」

・・・・・・廊下を歩く足音が近づくとドアが開いた。

「どなたですか?」

「赤江先生でいらっしゃいますか? こんにちは、私は摩耶浩之といいます。先生の作品を読んで、どうしてもお話が聞きたいと思いまして・・・突然の訪問で、はなはだ失礼だと存じますが、少しお時間を頂けないでしょうか?」

「君は見たところまだ中学生くらいのようだが、私の小説を理解できているということかね?・・・・・・長くは話せないが、まあ、お上がりなさい」

 応接間に通して頂いたあと、僕はまだ中学2年生で14歳ではあるけれど、先生の作風に興味を惹かれていることを伝えた。小説現代野生時代小説新潮などで先生の作品を読んでいることを話した。華やかで、巧みな進行が作り上げる虚構(※注17)の舞台。 その発想の原点はどこにあるのか、ありがたいことに詳しくお聞きすることができた。

 先生は、ラジオドラマの脚本を執筆するなど、本名で放送作家を続けられていた。 その後、4年前の1970年にペンネームを赤江瀑とすると、小説家デビューされて現在は41歳になる。

「しかし驚いたね。君の年齢で私の作風をここまで考察しているとはね。若い頃、映画監督に憧れて東京の大学に入学したが、そのうちに詩や小説など個人的な芸術に方向転換したから、大学を中退して故郷に戻ってきたのだよ。此処は私が戻って来るべき場所だったからね」

「先生の原風景が此処にあるということですね。実在する風景が心象風景とも合致している世界なのでしょう。そうなれば、身の周りの風景全てにデジャヴュ(既視感)を経験されているのではないですか?」

「そうなのだ。この海峡の町で育った私は、遠く離れたとしてもいつかは回帰すると思っていた。海峡を見渡せば満珠・干珠島が見える。豊功神社や満珠・干珠は私にとって気場(パワースポット)だよ。近くには私が通った県立高校もある。体育の時間には、手前の干珠島まで、1キロメートルはあるというのに泳がされたものだ。これだけ潮流の早い場所でよく流されずに、命を落とさなかったと思うよ。そんな経験なども含めて、此処で目にするもの全てが私の世界であり、小説の舞台でもあるのだよ。

 そういえば先月のことだったが、海峡を眺めていて偶然に目にしたことだが、うつ伏せになった人が、壇ノ浦から干珠島の方角へ流されていた。その人は幸いにも救助されたようだったが・・・」

「先生は虚構の扱いについてどのようにお考えですか?僕は、必ずしも虚を実に書き上げるだけでは無いと思うのです。単なる技法ではなく、もう少し多面的にとらえるべきだと・・・」

 先生は目を閉じて腕を組んだまま暫く沈黙した。その後、的確な推察を持って話を始められた。

「君は中学2年生だと言っていたが、この世界の住人ではないだろう?例えば時間旅行をしてきた未来人であるとか・・・いずれにしても私には、君が14歳の少年だとは思えない。異なる環境で人生経験を重ねてきた人間のように見えるよ」

「実は単刀直入にお聞きしたかったことですが、先生は時間跳躍すなわちタイムリープを経験されていませんか?」

「――――――少し動揺してしまったよ。初めて見破ったのが君になるからね。それについては時間を掛けて話さなければならないだろう。興味があれば改めて私を訪ねて来なさい。訪ねる前には電話を入れるといい」

 僕は丁重にお礼を言い、再会の意向を告げて家路に就いた。やはり勘は当たっていた。先生の小説から滲み出る、緻密に構築された虚構の世界。そこには、時間移動をした者のみが知る匂いがあった。

 それにしても時間移動をする人が、思っていた以上に多くいるのには驚いた。過去には、時間の定義を覆した物理学者がいたが、彼は 『時間は実在しておらず、人間の幻想にしか過ぎない。時間は現在から未来へと流れるのではなく、過去・現在・未来が等しいものとして存在する』という主張をしていた・・・考えるほどに何が何だか分からなくなってくる。

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※注16 『赤江瀑(あかえばく)、本名:長谷川敬(はせがわたかし)』(1933年–2012年 79歳没)は、山口県下関市出身の小説家。耽美的、伝奇的な作風で熱烈な支持者を持つ。1970年、『ニジンスキーの手』で小説現代新人賞を受賞。『オイディプスの刃』で角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で泉鏡花文学賞を受賞した。また、歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説、京都を舞台にした作品を数多く発表した。

※注17『虚構』事実でないことを事実らしく作り上げること。文芸作品を書くにあたり、作者の想像力で、現実にあったことのように真実味をもたせて書くことを言う。