tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第33話 コザのアキラ

       1974年8月6日 火曜

 8月6日火曜、コザの歓楽街はいろんな意味で暑かった。いや、むしろ熱かったと言ってもよい。沖縄にやってきて3日目になる。相変わらず朝から夏雲が沸き上がっている。照りつける日差しの中で雲の成長を見ていると、今日も過酷な一日が始まるのだと、覚悟しなければならない。早くも辺り一面に熱気が漂い始めた。

 ここから車で20分のビーチに行けば、爽やかな風が吹いているという。そこに行けば、美しいサンゴ礁や色鮮やかな熱帯魚が、暑さを忘れさせてくれると思う。でもそれは、仕事がなければの話になる。

 夕暮れ時になると、空がオレンジ色に染まる。この、ほっとするひと時は、今の僕にとって大切な休息だった。これからの長い夜に備えるため、オリオンビールをひと缶飲み干す。こうして、忙しい夜は今日も訪れる。

 昼も夜も熱いコザの街にはアキラがいる。彼は沖縄麻薬取締支所に所属するマトリとして、昼夜を問わず捜査に余念がない。今夜もバイクにまたがるとコザの町を駆け巡る。ロングフォークのチョッパー仕様というカスタムバイクが、彼のトレードマークになっている。

 1972年5月15日、沖縄県アメリカ合衆国から日本に返還された。その後、1974年4月1日にコザ市は消滅する。いや、正確に言うと沖縄市に改名されたのだけど、それでも市街地のコザ十字路から、胡屋地区、中の町地区などは、今でもコザという愛称で呼ばれている。

 アジア最大のアメリカ空軍基地といわれる嘉手納基地(※注26)は、ベトナムへの出撃拠点だった。同時に、東南アジアとアメリカを結ぶ、麻薬密輸ルートの中継地点にもなっていた。そしてまた、コカインや大麻などの麻薬は、コザの町にも深く浸透していた。ところが日本の警察は、米兵が基地内で行う麻薬所持や密輸に対して、まったく手出しができなかった。それでも、やがて沖縄が返還されると、基地内の取り締まりも可能になった。

 それは、先週の日曜日のことだった。津々木捜査官から、少年の家に電話があった。少年の母親が僕を呼んだ。「浩之(ひろゆき)ちゃん、津々木くんから電話よ。“夏休み勉強会”の案内だと言ってるわよ」突然なんの事だろうと電話を替わると、“取締り強化週間”のことで打ち合わせがあるから、今から家に来て欲しいとのことだった。

 “取締り強化週間”なんて聞いたことがないと思いながら、急いで津々木家に向かった。到着すると、スタッフが慌ただしく動き回っていて、その中には真鳥さんの姿もあった。

「やあ、鹿間くんご苦労さん。早速だが本題に入るぞ。実は小津の部隊が沖縄に集結しているとの情報を得たんだ。彼らは南国でかなりの荒稼ぎをしているという。そこでだが、ここで奴の部隊を一気に攻めて、ひとり残らず検挙しようということなんだ」

「それで、その強化週間に僕も参加しろってこと?」

「すまないがそういうことだ。相手は構成員の大半である17人が集まっている。これに対して、こちらのメンバーはわずか4名という人手不足だ。だから鹿間くんにも協力頂きたいという訳だ」

「うん。事情はよく分かったから、躊躇せずに参加するよ。そして努力を惜しまないつもりだよ。でも、僕が何日も家を空けると色々と問題が起きると思うんだ。そのあたりは、捜査官の事だからうまく計画しているだろうね」

「任せておきたまえ!心配無用だよ。まず、日程は来週日曜から土曜までの7日間、8/4から8/10としている。鹿間くんはその一週間、私の父親が主催する臨海学校に、無料で参加してもらうという設定だ。そこで高校受験講座を受けながら、海に入って体力強化に励んでもらうというカリキュラムなんだ。沖縄に行けば日焼けするから、辻褄を合わせておく為にね。君のお母さんには、私の“父親役”が電話で説明をして、安心してもらうという手はずだ」

「よく考えられたアリバイ作りだね。でも、母親に電話を入れる時には、注意してもらいたいんだ。津々木捜査官は“少年の家”に電話を入れた時、『鹿間陵汰くんはいますか?』と言ったでしょ? “鹿間陵汰”は僕の本名だよ。この世界では“摩耶浩之”が僕の名前なんだから・・・何度も間違えると、少年の母親は不審に思って電話を切ってしまうよ」

「すまなかった。それはそうだな、十分に気を付けるよ。それから私と君は、見た目は未成年だから、沖縄では夜中に仕事ができない。だから、私と君のアバターを作ることにした。実年齢28歳の私と、25歳の君のアバターだよ。それを空間移動させて沖縄に送り込むんだ。その間、私と君自身は、この家にあるカプセルで人口睡眠をすることになる」

アバターは2060年の警察庁研究所でなくても作れるんだ!しかも捜査官は、アバターアバターになるから凄いな。 ところで沖縄に行ったら、未成年じゃないからビールを飲んでも構わないよね? 1年振りのビールの味が今から楽しみなんだ」

「ああ、ビールでもウイスキーでも好きなだけ飲んでくれたまえ。ただし、しっかりと潜入捜査をしてもらうからな。それから麻薬にだけは絶対に手を出すなよ!」

 8月4日、日曜の早朝、メンバーは空間移動装置を使って沖縄市へ向かった。目的地はコザ十字路にほど近い“越来城(ごえくグスク)跡地。僕たちは、芝地の上にほんの数秒で降り立った。今回は、各座標値の設定が正確だったようで、気持ちよく目的地へ到着することができた。

 ところで、僕には心配なことがひとつだけあった。それは、僕が沖縄に来ていることを、小津が察知すれば、ミッションに影響を与えるのではないか? ということだった。沖縄に行っているのがアバターでも、僕の意識はアバターと共にある。脳チップも同期されている。小津が動線分析ツールで、僕の動きを確認することは十分可能なはずだ。

 事前に僕は、名古屋にいる相川さんに電話を入れていた。彼女の言っていた、ツール上の位置表示が動かないようにする方法を、教えて欲しいとお願いした。彼女は状況を理解してくれて、その手順を教えてくれた。こうして当面の間、自宅から外に出ない設定にしておいた。

 ミッションメンバーが沖縄市にそろった。津々木捜査官はメンバー紹介を始めた。津々木捜査官と時空間野営部隊の3名。続いて真鳥麻薬取締官と僕の紹介があった。 捜査官の母親役の人は家に残って、カプセルに入った捜査官と僕の面倒を見てくれている。

「続いて沖縄麻薬取締支所から1名、アキラが来ているはずだが・・・おかしいな? 姿が見えないぞ!」

 遠くから、バイクのエンジン音が近づいてくると、僕たち6名の円陣付近にバイクは止まった。その姿は、口髭に長髪をなびかせ、レイバンのサングラスをかけた、映画イージーライダー(※注27)のピーター・フォンダそのものだった。彼は遅れてきたこともそうだけど、バイクから降りることもなく、挨拶やコメントなど一切声を発することはなかった。

「よし、これで7名全員だ。それでは2名体制のグループ分けだが、鹿間くんはアキラと組んでくれ」

 捜査官はグループ別役割と捜査日程を説明すると「さっそくだが動き出してくれ!」と言って、打ち合わせを終えた。僕は、この正体のわからない人と組むのが心配だったけれど、捜査官は彼の事をこう説明した。

「アキラは年齢不詳ということだ。厚生省の職員なのに年齢不詳とはおかしな話だが、本人が年齢を口にしないからな。それから彼の特技は超能力を扱うことらしいから、どんな超能力か知らないが、捜査に期待が持てるぞ。鹿間くんは独身暮らしの彼と、衣食を共にしてくれたまえ。とにかく2人仲良くしてくれよ」

 アキラは見たところ、僕と同世代の25歳から28歳あたりのように思えた。物静かなアキラは、僕の質問に時々『イエス』とか『ノー!』と返事をするだけだった。昼間は小津の部下17人を特定していく為に、聞き込みや資料集めを進めた―――そろそろ20時になる。日はすっかり落ちて、ネオン看板が華やかな光を放っていた。

 夜になると、嘉手納ゲート2からゲート通りへ、大勢の米兵が繰り出してくる。センター通り(BCストリート)には、ライブハウスやロックバー、キャバレー、クラブがひしめいていて、そこでは危険と隣り合わせの、カオスが毎夜繰り広げられている。そんな危険で眠らない街への潜入捜査が、僕たちの使命だった。

 僕は、彼のバイクに乗せてもらい、後方にあるグラブバーをつかんだ。そして翻訳機の、これまでに使ったことの無い機能を試してみようと、ふと思いついた。それは、僕が日本語で発する声を、翻訳機が自動変換して、英語で話しているように聞こえるというスイッチだった。

「Now, Akira, which store should we investigate? Can you tell me?」

(さあ、アキラ、どこの店から捜査しようかな。教えてくれる?)

 するとアキラは、「Let’s start from this club. It’s just my hunch though.」

(このクラブから始めてみよう。私の勘だけどね)としゃべった。

 そうなんだ!何故だか分からないけど、彼は英語でしか話さないんだ。こうして、アキラと会話ができることが分かると、僕は嬉しくなった。アキラはバイクを停めると、一人でクラブへと歩き始めた。僕は急いで彼の後を追って店の中に入った。

 店内ではバーカウンターに立って、遠慮がちにバドワイザーを一杯注文した。暫くすると、米兵だと思われる屈強な2人の白人が入ってきて、アキラを見るとこう言った。

「Mr. Akira, how are you? Thank you for your hard work tonight.」

(アキラさん、お元気ですか?今夜もご苦労様です)

そして、アキラの傍に立っている僕を見て彼はこう続けた。

「Who's this nobody? Who are you?」

(どこの馬の骨とも知れない奴だな。誰だお前は?)

『なんだよ!まったく感じの悪い人だな!』・・・・・・あとはアキラがフォローしてくれた。

★――――――――――――――――★

(※注26)嘉手納基地は、嘉手納町沖縄市北谷町をまたぐ広大な面積に拡がるアメリカ空軍基地。1945年4月、連合国軍が沖縄戦で旧日本陸軍中飛行場を接収して、その後さらに拡張した基地。3,700mの滑走路、約100機の軍用機が常駐している。面積は羽田空港の2倍ある。

(※注27)『イージー・ライダー』(原題:Easy Rider)は、1969年公開のアメリカ映画。日本では1970年に公開された。ピーター・フォンダデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作。

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第32話 別れ

       1974年7月20日 土曜

 梅雨の季節は、エアコンの無いプレハブ教室にとって、日々が蒸し暑さとの戦いになる。隣接する老朽化した鉄筋造りの西校舎は、涼しげに思えて羨ましく思う。しかし期末テストが終わって、夏休みが近くなると様子は少し違ってきた。教室中の窓を開けておけば、付近の木立を通り抜けて来る風は爽やかで、特に午前中は清々しく感じられるようになった。

 2年3組の相川詩織さんとは、学校で会話を交わすことは無かったが、昨年の夏、市立図書館で出会って以来、休日を使って図書館で待ち合わせをした。そして“連絡会”と称して、2~3時間の対話をこれまで繰り返してきた。

 連絡会では、出来る限り彼女に情報提供を行ってきた。津々木捜査官が、時間犯罪警察局からこの時代に派遣されてきたことや、麻薬取締官の真鳥真吾さんが、特命を受けて緊急に派遣されたことなど。もちろん彼らの立場を脅かしかねない話は口外していない。他には、小津真琴が別人の姿をして襲ってきたが、同級生3人が協力して僕を助けてくれた話。友人とのサイクリング中にも、待ち伏せていた小津に襲われたこと。すんでのところで、捜査官が立ちはだかって、僕たちを救ってくれたことなども伝えた。

 彼女は連絡会のたびに、小津の動向やタイムリープに関する重要な情報を教えてくれた。そして“あの香水のような匂い”の秘密を懸命に探り続けてくれていた。

「なぜ図書館に僕がいるのを知ることができるの? 君は、ある方法を使えば簡単だと言った。その方法とは何か教えてくれない?」

「小津も同じ事ができると言ったと思うけど、それは彼が私に教えてくれたからなの。ある薬品を使うんだけど、標的にした人間の皮膚に、微量の薬品を付着させるのよ。そうすると、標的の動きが手に取るように分かるようになる。GPSよりも精密に、他人の行動が管理できるのよ」

「いつそれを僕の皮膚に付着させたの?」

「それはとても簡単だったわ」彼女は笑みを浮かべて言った。

「摩耶くん、いや、鹿間くん、あなたは授業中、考え事に夢中になることが多いよね。それに机の上からよく物を落とすわ。落とした消しゴムを拾ってあなたへ渡す時、右手の甲にスポイドでワン・ドロップしたのよ」 

「まったく気が付ついてないでしょう?」相変わらず微笑む彼女は話を続けた。

「すると、付着した液体の表面に2ケタの識別番号が一瞬浮かび上がるのよ。私はその番号とあなたの名を黙唱すればいいの。そうすれば、私の脳に埋め込まれているチップを介して動線分析ツールに登録される。 凄い薬品でしょ?小津が以前働いていた会社が、2045年頃に開発したと聞いている。でもやがて、プライバシー侵害が社会問題化して、市販するのは法律で禁止されたらしい。確か、薬品の原料はハーブの一種だと言ってたわ」

 このように彼女は、僕が知りたいという欲求に応えてくれることが多かった。それは小津から巧妙に聞き出してくれた努力の結晶だといえる。

「当然のことだけど、小津は私の行動を管理したいから、私にも液体を付着させている。ところがある時、ツール上の位置表示が動かないようにする方法を見つけたのよ。だから鹿間くんに会っている時は、私は自宅から出ていないように見せてるの」

「ほんとうなの?いやぁ、凄い技術だな。それに相川さんも一枚上手だね。何よりも、君が脳にチップを埋めているとは思わなかった。なぜかって言うと、チップを介して政府のサーバーに繋がっていれば、行動は全て政府の監視下に置かれる。違法行為があれば、直ぐに捕まってしまうからね」

「違うのよ。政府のサーバーではなくて、裏社会が独自に構築したネットワークよ。それにこのシステムは、優れたセキュリティを持っているの。メンバーの誰かが捜査官に捕まって、埋め込んだチップを取り外されたとしても、裏サーバーとの通信を、即座に遮断する安全装置が付いている。だから、この悪質なネットワークは揺るぎないと言ってもいい。言い換えれば、アンダーワールドを切り崩すのは、至難の技ということね」

 今日は7月20日。今は夏休み直前の連絡会になる。ところが、相川さんとの別れは突然やってきた。 

 彼女は話を切り出す。父親が転勤になり、月曜までに荷出しを済ませて、名古屋市へ引越さなければならないという。

「―――ショックだな。なんだか、体中の力が入らなくなったよ。ここから遠く離れたとしても、君は小津から逃れられないと思う。心配で仕方がないし、僕たちはこの先どうなるんだろう?」

「いい大人が何を弱気なこと言ってるの? しっかりしなさい! あなたは25歳の青年でしょ?」

「35歳の相川さんには負けるよ!」

「なんだとー、僕ちゃん!」―――2人で親しみを込めて笑い合っていると、貸出カウンターに立つ、いつもの男性職員が「しっ!」と唇に指をあてた。

「私の事は心配しなくても大丈夫。それよりも“あの香水のような匂い”の秘密だけど、『時をかける少女』で登場した、ラベンダー効果というのは、あながち空想ではないみたい。一般的に、ラベンダーは高ぶった気持ちを沈めたり、痛みを和らげたり、炎症を鎮める効果があるといわれる。でもまだ全ての効果は明らかになっていないわ。時間旅行へといざなう、ツールになるのかも知れない。小津は香りの原料が時間跳躍に欠かせないと言っていたしね」

「僕が元の世界で働いていた研究所であれば、解明は可能だと思うんだ。そこには優れた量子コンピュータがあるからね。成分分析や、薬品の組み合わせなど、新薬の開発を最も得意とするのが量子コンピュータだからね」

「でもこの時代にはそれがないわね・・・・・・そうだ!鹿間くんの脳チップで元の世界と通信をして、協力者に分析を依頼したらどうなの?」

「それが、僕のチップは翻訳機しか使えない状態なんだ。何者かがサーバーとの通信を遮断しているとしか考えられない。通信が可能なら、直ぐにでも弟に依頼するんだけどね。鹿間敢太はまだ大学4年生だけど、量子コンピュータの扱いは一流なんだ」

「そうなの? だったら、いまのところは香りの原料を絞り込んでおくべきね。まずはラベンダーを含むハーブ種から始めたらどうかな? そして並行して、通信を再開させる方法を探るのよ」

「そうだね。まずは花やハーブ種などの、香りに特徴ある植物を調べてみようかな?」

「ラベンダーから勉強するなら、2年3組の愛原京子さんを訪ねるといいわよ。彼女の家はハーブを趣味としているから、有益なアドバイスを受けることが出来ると思うわ」

 図書館を出た後は、寄り道するのがすっかり習慣になっていた。そう、それは大通りを左に曲がったところにある小さな喫茶店。グラデーションブラウンのサングラスが似合うママさんが迎え入れてくれる。店内に入ると早速、二人掛けのテーブルに座る。

「あなた達はいつも決まった席に座って、難しそうな話をしているけど、ほんとうに仲がいいわね。 それに、コーヒーの香りを優雅に楽しんでいる姿は、とても中学生には見えないわよ」 

 それも今日が最後かもしれないなと思いながら、ママさんの言葉が心に染みた。

 サイフォンで入れた香り高いコーヒーが楽しみのひとつだった。ふたつ注文すると、ママさんが豆から抽出する準備を始める。沸きあがるコポコポという音に期待は高まり、フラスコ内の沸騰したお湯が移動してコーヒーが抽出されていく。ママさんは竹べらで円を描くように“かくはん”する。それは理科の実験のようでもある。

「あさってには旅立ってしまうんだね。―――僕は見送りにはいけないけど、名古屋に行っても元気でいてね。必要であれば、いつでも津々木捜査官の空間移動装置で飛んでいくよ」

「うん、わかった。鹿間くんも頑張ってね。新たな情報をつかんだら直ぐに連絡するわ」

 お店の中では有線放送から洋楽が流れていた。今流れている曲は、今月発売されたばかりのウイングスの新曲『バンド・オン・ザ・ラン』※17だった。

「この曲は、刑務所から脱走するという話だよ。“もし、この檻(おり)の中から出られたら”と、主人公は想像するんだ。僕らは犯罪者ではないし、そうなりたいとも思っていなかったのに、どうして此処にいるんだろう? こうして、逃避や自由について語られる。とても深い話なんだよ」

 裏手のドアから、蕎麦屋のご主人が絵画を抱えて入って来た。喫茶店の壁に掛かる絵を外して、新しい油絵を掛け直した。新作の絵はお店の雰囲気を変えて、僕たちはより楽しく時間を過ごすことができた。

★――――――――――――――――★

※17『バンド・オン・ザ・ラン』(Band on the Run) は、ポール・マッカートニー&ウイングスの楽曲。日本では1973年7月にリリースされた。アメリカでは1位、イギリスで3位を獲得した。ジョン・レノンは「良い曲だ。アルバムも良い」と、珍しく高く評価している


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星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第31話 スカイセンサー

       1974年7月14日 日曜

 日本短波放送は、1974年1月に放送を開始した。番組の中に、三菱電機が提供する“ハロージーガム”がある。これはBCL専門の情報番組で、平日の18時15分から15分間放送されている。番組内容は、主に最新の放送局周波数変更情報、受信報告の書き方、受信テクニックなどの紹介となっている。

 BCLとは、『短波で海外放送を受信して楽しむ趣味』のことで、昨年あたりから話題に上るようになり、今年に入ると、小中高校生を中心にBCLブームが巻き起こった。アマチュア無線も短波を使った1つの放送局なので、短波放送を聴くことは、アマチュア無線開局前のステップに位置づけされた。

 短波は上空の電離層で反射するため、受信機の性能やアンテナの良し悪し、入り込む雑音が少ないなどの条件が整えば、全世界の放送を受信できる。そして、ブームの火付け役となったのが、ソニーが世に送り出した『スカイセンサー』だった。この、短波受信ブームを見たラジオメーカー各社は、短波受信を重点設計にしたラジオを、次々と市場に投入した。

 中でも1972年にソニーが発売した、ICF-5400から始まるスカイセンサーシリーズは、その代表格といえる。これまでのラジオには無い、個性的な機能を持たせていた。更に昨年発売されたICF-5800(注21)は、通信機をイメージしたメカニカルな縦型デザインにしている。これは少年たちの心を鷲づかみにして離さなかった。完成度の高い優れた性能を持ち、テレビでは、購買意欲をそそる魅力的なCMが、毎日のように流れている。

 毎朝の登校時には、梅野くん、早志くんと3人で、短波放送受信の話題を持ち出して盛り上がっていた。特にスカイセンサーの話になると、新たに仕入れた情報をお互いが競って自慢げに語る。しかし、ああだこうだと言う割には、誰一人スカイセンサーをまだ触ったことがない。

 何と言っても“スカイセンサー”という響きが良い。少年たちの好奇心や探求心を誘うこのネーミング。これさえあれば、自分でも世界中の空を飛び交う電波を探索できる。目にしたことの無い、海外の風景を手に入れた気分になれる。海外の言葉に触れることもできると期待感は大きく膨らむ。だから授業の合間には、カタログを羨望のまなざしで見入ってしまう。

 ところが、手に入れば良いという訳ではない。長谷寛人くんが、以前似たようなことを言っていた。

「モーリスのギターを持てば、スーパースターも夢じゃないってCMがあるだろ?だけど、手に入れたからといって、スーパースターになる可能性は、限りなくゼロだよ・・・」

 使い勝手のよい道具が、手に入ったというだけのことだ。使いこなさなければ、思い描くとおりにはならない。更に、このスカイセンサーICF-5800だと2万8百円する。それでも、他のメーカー製品に比べるとコスパが良かったが、ラジオだというのに2万円もすれば、小中学生が親から気軽に買ってもらえる商品ではない。小中学生でBCLラジオを持っているのは、裕福な家庭の子だと言える。

 そういえば先日、遂にギターを購入することができた。気の進まない少年の母親を、楽器店まで連れ出して、3万2千円するモーリスのギターを注文した。彼女は「もうこれでおしまいよ!あれが欲しい、これが欲しいと言っても、何も買わないからね」そう言って、浮かれている僕をけん制した。仮に、スカイセンサーを買って欲しいとねだっても、利するところはひとつもない。彼女の機嫌を大きく損ねて、再び白ご飯だけの弁当が続くことになるだろう。

 実は、僕が愛用しているラジカセ、ソニーCF-1450は、SW(短波)を受信できる。最近は流行に乗り遅れまいと、短波放送を聴くことが多くなった。国際放送では『ボイス・オブ・アメリカ』、『BBCワールドサービス』、などがある。日本向けの日本語放送では、韓国の 『KBSワールドラジオ』、北朝鮮の『朝鮮の声放送』、中国の『中国国際放送』、ベトナムの『ベトナムの声放送局』や、宗教放送など様々な局が存在する。

 今は、ラジカセで聴く短波放送で十分だと思っている。それに、僕には翻訳機能があるから、あらゆる言語が日本語で聴こえてくる。だから、多言語の国際放送など何ということもない。

 ところで、短波放送を聴いて受信報告書を放送局に送ると、受信確認書であるベリカードが送られてくる。アマチュア無線局に送った場合は、更新証明書であるQSLカードというのが届く。多くの局を受信して、その証としてカードを集めることは“短波リスナー”としての勲章になる。または“アマチュア無線における海外交信”の実力を証明することでもある。

 ベリカードは単なる受信報告書の返礼ではない。放送局やアマチュア局が、国や地域の特徴を意識して個性的で美しいカードを制作している。だからカードは収集対象としての価値がとても高い。

 学校では、BCLブームを受けて先生がアマチュア無線に、前向きな理解を示していた。同級生の中には、国家試験に合格、もしくは挑戦中という生徒が数人いた。先生達は良い勉強になるからと、第四級アマチュア無線技士免許の取得を、積極的に推奨していた。

 2年5組に、日景一洋くんという生徒がいる。彼はアマチュア無線の免許を取得して開局しているという。僕は詳しく話を聞きたいと、5組の日景くんを早速訪ねてみた。

「だったら、今度の日曜日にでも家に来てみるかい?」と、日景くんは言ってくれた。 僕は二つ返事で答えると、日曜の午後に彼の家を訪ねた。海水浴場がある海岸線を少し北に行くと河口がある。そこから中山神社の方向に歩くと、彼の家にたどり着いた。

家の庭には、ロングワイヤーのアンテナが張られていた。部屋に案内されると、日景くんが説明してくれた。

「この送信機や受信機は自作したものを使っている。送受信機はアンテナカプラー(※注22)を通じて庭のワイヤーアンテナに繋いでいるんだ」

「自作しているなんて凄いね」

「なに大したことじゃないよ。キットも数多く販売されるようになったからね。“はんだごて”と“テスター” (※注23)さえあれば誰でも作れるよ」

「この部屋には、自作している物が他にも色々ありそうだけど・・・」

「そうだね。小学校の頃は“鉱石ラジオ” (※注24)や“ゲルマニウムラジオ” (※注25)を作って遊んでいたよ。月刊誌で『初歩のラジオ』や『ラジオの製作』というのがあるけど、最近は本格的になって誌面が充実してきたから、高度なものが作れるようになった。他にもオーディオ関連の雑誌も参考にしているよ」

「まさかここにあるステレオ装置も自作したの?」

「そのまさかだよ。プリアンプにメインアンプだろ? それもトランジスタ製だけでなく、真空管を使ったものもあるよ。 ギターアンプやベースアンプも作ろうと思っているけどね・・・・・・なにしろ、それなりの資金が必要だから、一度には作れないんだ」

「例えばだけど、設計図があればどんなものでも作ることが出来る?」

「何でもという訳にはいかないな。でも回路の設計が正確で、全ての部品が調達できれば大抵のものは作れると思うけどね」

その後、アマチュア無線を開局してどのように運営しているのかなど、BCL関連の話を聞いて、彼の家を後にした。

世の中には日景くんのように、大人顔負けの少年たちが多く存在することに、あらためて驚いた。早く家に帰ってギターの練習をしなければと、僕は家路を急いだ。

★――――――――――――――――★

(※注21)ICF-5800(スカイセンサー5800)は、当時の短波ラジオの多くが12MHZまで受信するのが限界だったのに対して、ICF-5800は28MHZまで受信できる画期的なラジオだった。アマチュア無線が復調可能なBFO回路も装備していた。価格は2万8百円だが完成度が高く、日本国内で最も売れたBCLラジオと言われている。

(※注22)アンテナカプラーとは、アンテナの信号を分配する部品で、アンテナと受信機や送信機を接続するために使用される。

(※注23)テスターとは、抵抗値、直流の電圧・電流、交流の電圧がスイッチの切り換えによって計測できる計器。

(※注24)鉱石ラジオとは、同調回路と鉱石検波回路のみから成る簡単な受信機。増幅回路はなく、イヤホンで聞く。

(※注25)ゲルマニウムラジオとは、鉱石ラジオと同じ無電源ラジオの一種で、半導体ゲルマニウムを利用して、電波から音声信号を取り出すラジオ受信機のこと。

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第30話 宇宙大作戦

               1974年7月10日 水曜

 電力節減の為に、0時30分以降のテレビ放送は今でも全て休止されている。放送終了1時間前に放映されているのが、アメリカのドラマ『宇宙大作戦』(※注20)の再放送だった。少年の家では夜23時を過ぎてテレビを見ることは禁止されていた。どうしても見たい『宇宙大作戦』(スタートレック)は、毎週水曜日の23時30分から始まるから、番組を視聴すればルール違反になる。

 テレビは居間にしかない。だから放映時間前になるとこっそり居間に忍び込んだ。勉強部屋から持ってきた掛け布団をテレビに被せて、布団の中に潜り込んでテレビの電源を入れる。こうすれば音と光が洩れずに視聴できる。一人だけのシアターが完成すると、僕は息を潜めて画面を食い入るように見つめた。

 番組はナレーション入りのオープニング映像から始まる。『宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない・・・・・・』毎回同じオープニング映像だというのに、ナレーションを聴くたびに胸のときめきが収まらない。

 物語は23世紀(2260年代)を描いていて、人類は超光速航行技術を開発していた。ドラマの説明によると、ワープ・エンジンを使って宇宙艦を包み込むように亜空間フィールドを発生させる。するとフィールドの膜に包まれた内部は、光速で進み出す仕組みで、これをワープ航法と呼んでいる。フィールドの膜の中は通常の空間と変わりなく、宇宙艦はその中で静止している。しかし外から見ると、宇宙艦は亜空間フィールドの膜に包まれたまま光速で移動を開始するという。

 1905年に発表された特殊相対性理論によると、アインシュタインはあらゆる物体は光速を超えるスピードを出すことができないとした。もし加速を続ければ、その物体の質量は速度が光速に近づくほど無限大に増え続け、さらに光速度不変の法則という公理によって「時間の遅れ」という不可解な現象が発生すると言っている。

 また亜空間とは、通常の物理法則が通用しない想像上の空間のことを指しているが、もちろんこれは物理学の用語ではない。ドラマでは、亜空間という架空の空間を仮定することで、光速を超える速さでは移動できないという相対性理論との矛盾をうまく回避している。

 僕の脳に埋め込まれたデバイス機能には翻訳機が搭載されている。タイムリープによって過去へ跳躍した1973年でも翻訳機は正常に機能した。このことは2043年に存在するサーバーが、1973年に在るデバイスと双方向通信を行っていることを意味する。70年という時間的距離は、光速を超える速さでなければ通信は不可能だった。これを可能としたのは超光速通信技術が実現したからに他ならない。

 アインシュタインの 『光速を超えて情報や物質を送るのは不可能』という理論に反して、超光速通信技術は開発された。2043年には光速を超えて情報を送ることに成功している。いずれはドラマが描くように、新たな航行技術を使って同一次元の遥か彼方まで、人を含めた物質を送ることが可能になるだろう。ただし、アインシュタインの理論を越えた技術を開発するのはそう簡単ではない。これが実現するのは100年後、いや、ドラマの世界と同様に200年後になるかも知れない。

 光の速さは秒速30万km。地球と月は38万km離れているから、地球から発せられた光は1.3秒で月に到達する。1969年、月面着陸に成功したアポロ11号は、液体燃料多段式ロケットで打ち上げられたが、月に着くまでに102時間を要した。また、天の川銀河系内にある地球から最も近い別の銀河はアンドロメダ銀河になるが、その距離は9.5兆kmにもなる。光速で移動したとしても250万年かかる。

 スタートレック宇宙艦 『U.S.S.エンタープライズ』の巡航ワープ速度は、通常時にワープ5〜6程度、緊急時にワープ9といった運用がされている。ワープ1は光速の1倍で、ワープ2が光速の10倍、通常時のワープ5では光速の214倍、緊急時のワープ9では光速の約1516倍以上となっている。

 要するに、これだけの速さを持つ乗り物でなければ、宇宙という限りなく広大なフロンティア(新天地)に足を踏み入れて、自由に飛び回ることは出来ないことを意味する。19世紀後半(1860年~1890年まで)の西部開拓時代であれば、アメリカ西部の領域と面積に見合う移動手段は、馬や馬車、鉄道で十分に事が足りていた。では、宇宙のほんの一部である、太陽系を含む天の川銀河系での移動手段としてU.S.S.エンタープライズはどうなのだろうか?

 その前に、エンタープライズ号のエンジン最大出力であるワープ9を使った場合、光速で250万年を必要とするアンドロメダ銀河まで、どのくらいで到達するのだろうか?―――答えは300年になるが、ワープ9は緊急時のみに使用するもので、長時間使用すればエンジンは壊れてしまうだろうから現実は不可能といえる。

 また片道300年で到達できたとしても、航行中は人体を低温状態に保ち、目的地に着くまでの時間経過による搭乗員の老化を防ぐコールドスリープを使わなければならない。更に地球との交信は断片的なものになり、緊急対応などのミッションをこなすのは不可能だろう。往復600年を要するということは、地球に帰還したとしても乗組員は天涯孤独になってしまう。これでは、乗組員に志願する者はいないと思われる。これだと宇宙を自由に飛び回っているイメージには程遠い。

 では、銀河系外へ飛び出すのは遥か遠い未来の話として、太陽系が含まれる天の川銀河系での移動手段としてはどうだろうか?銀河の直径は10万光年であり、その所要時間を、エンタープライズ号のエンジン出力別に整理してみると・・・

・ワープ1(光速の1倍)では10万光年に掛かる所要時間は10万年である。

・ワープ5(光速の214倍)では10万光年に掛かる所要時間は2年3か月である。

・ワープ9(光速の1516倍)では10万光年に掛かる所要時間は3か月である。

 なるほど、ワープ5時々ワープ9を基本にして銀河系内を動き回ることが可能だ。これだと領域内を自由に飛び回っていると言っていいだろう。宇宙探査・防衛・外交・巡視・救難などの任務を遂行するに足るスペックを有していると評価できる。

 このドラマを見て思ったのは、超光速航行技術が開発されると、宇宙を飛び回るように過去や未来を行き来することも、夢ではないということだった。2043年には光速を超えて情報を送ることが実現した。時間的距離も光速を超える速さであれば、過去や未来に情報と同様に物質を送ることが可能になる。やがて人類がタイムマシンを使って時空間移動をする日がやってくる。タイムトラベルが日常化する未来はいつやってくるのだろうか?

『チャーリー転送を頼む』・・・これはカーク船長がよく使うセリフだ。船外に出ていた船長がエンタープライズ号へ帰還するときに機関主任のチャーリーに命令する。一瞬にして人を異なる場所へ転送する装置が船には常備されている。

 これは人を含む物質を空間移動させる装置。津々木捜査官が時々使う空間移動は、同様のもので、おそらく2060年までには開発されていたと思われる。残念ながら捜査官は開発の経緯を何も知らなかったので、詳しいことは分からないが・・・

 量子力学を専攻していた僕が推測するのは、これは量子力学の原理を使った技術で、“量子の絡み合い”という状態と“量子テレポーテーション”の現象を利用していると思われる。その現象とは、2つの粒子は遠く離れていても、量子が絡み合った状態では一方の変化が他方の粒子に伝わる。これを利用して量子状態を転送する。量子状態をAからBへ伝えて、量子状態を再現するとAの量子状態は消滅するからAをBに転送したことになる。このように、量子状態を転送できれば、物質を転送することは可能になる。 これが物質転送装置の仕組みだと考える。

 オープニングのナレーションでは、『・・・・・・これは人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った、宇宙船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である』と結んでいる。

 人間ドラマの要素を多く取り入れて普遍的なテーマを扱うこのドラマは、登場する人物に多くの民族や異星人を配している。そして女性を主要キャラクターにするなど、差別のない時代を描いている。

 次週も視聴したいという気持ちになり、放映が待ち遠しくてたまらなくなる。それにしても、布団に潜り込んで1時間も過ごしていると、汗をかいて暑くてたまらない。冬ならまだしも、今は夏休み前の7月10日だったことに気がついた。

★――――――――――――――――★

(※注20)『宇宙大作戦』は、1966年にアメリカのNBC系列で放映が開始された。 23世紀になると、銀河系宇宙に進出した人類は、宇宙人と惑星連邦を形成している。 連邦では宇宙探査や防衛などを担う連邦宇宙艦隊が組織されていた。ドラマはこの連邦宇宙艦隊の最新鋭艦U.S.S.エンタープライズ号と乗組員の冒険を描いている。

※映像1

宇宙大作戦 日本版オープニング映像

※映像2

スタートレックのテーマ』をエウミール・デオダート(Eumir Deodato)がアレンジした楽曲(Star Trek Thema) 。デオダートはリオデジャネイロ生まれで、1973年、CTIレーベルからアルバム『ツァラトゥストラはかく語りき』を発表した。クラシック作品をジャズにアレンジした楽曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が異例のヒットとなった。


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星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第29話 夕暮れの演奏会

               1974年6月25日 火曜

 世間では相変わらず様々な節電の取り組みが続いている。僕が困ることはほとんど無いけれど、強いてあげればテレビ放送の休止だった。放送の打ち切りは、深夜の時間帯だけではなくて、日中にまで及んでいた。こうなると、海外ドラマや洋楽番組などの視聴が難しくなっていく。大好きな“宇宙家族ロビンソン”や、“原子力潜水艦シービュー号”だけは続けて欲しかった。

 1年生の学年末テストの結果は好調だったから、年間総合ランク5を獲得できた。少年の母親の条件をクリアしたのだから、今ごろはギターを手にしている筈だった。ところが、いまだに少年の母親との交渉は続いている。物価上昇は相変わらずで、彼女の消費マインドは冷え込んだままだった。

 これでは交渉が決裂したまま時間切れになり、いずれは無かったことになるかも知れない。それを恐れた僕は、思い切った譲歩案を母親に話した。つまり、欲しかった5万4千円のアコースティックギターを、廉価な3万円の商品で妥協するよ、ということだった。

 その甲斐あって、彼女の考えを変えることが出来た。摩耶浩之くんの誕生日である、6月4日をもってその権利を獲得した。そこで、楽器の見識が高い長谷寛人くんから、アドバイスを受けようと考えた。

 昼休みになると、西校舎の階段を上がって2年5組の長谷くんを訪ねた。ギターの予算を伝えると、「だったら、マーチンやギブソンは買えないから、どうしても国産品になるだろうな。ヤマハでも予算的には厳しいから、モリダイラ楽器が扱っている製品にしたらどうだろう?」

「モリダイラ楽器って長野県のギターメーカーだったかな?」

「そうだよ。ほら、ラジオの深夜放送で宣伝しているモーリスのことだよ。アリスの谷村新司が登場する『モーリスのギターを持てばスーパースターも夢じゃない』ってCMが流れているだろう?持ったからといって、スーパースターになる確率は限りなくゼロに近いけどね。でも、この製品はコスパが高いよ・・・・・・君は高校から大学にかけてベースギターを弾いていたと思うけど、今度はギターを始める気かい? だったら、大学時代に僕がアドバイスしていたように、基礎練習を怠らないことだね。毎日弾かないと上達しないよ!」

「そんな未来の出来事を言われてもなぁ・・・それに僕は摩耶浩之くんではないからね―――とにかくギターを頑張ってみるよ」

 この頃の登校風景は以前とは少し違う。男女を問わず、レコードアルバムを学校に持ち込んで、友人に貸し出すという光景があちこちで見られる。レコード盤を収納するのがレコードジャケットで、そこには個性的なデザインが描かれていることが多い。ところが、レコードアルバムは2千円から3千円もする。中学生にしてみると、決して安い買い物ではない。それでも、ジャケットがかっこ良ければ、思い切って買った甲斐があったと思うし、満足感が満たされた。

 一辺が31cmの正方形という絶妙なジャケットサイズだった。絵画を所蔵するように、アーティスティックな存在感がそこには詰まっている。購入者は、収集品としての価値を見いだすと、ジャンルやアーティストの幅を拡げる傾向がある。こうなると、レコード店巡りを繰り返すようになり、ジャケットのデザインに魅了されて買う、“ジャケ買い”という現象が起きる。中身より見た目を優先すると、曲の良さそのものがハズレることがある。それでも、大抵はアタリのほうが多いとも言われている。

 レコード店は、アルバムをレジ袋に入れて購入者に渡してくれる。アルバムサイズにフィットするように加工された厚手のビニール袋に、店独自のロゴやデザインが刷り込んである。友人との貸し借りにはこの袋を利用するから、どこの店で買ったのか、お気に入りのレコード店はどこなのか一目で分かる。この学校では、細江町の“快音堂楽器店”や唐戸町にある“中国電波”という店の袋を見かけることが多い。

 毎朝、正門に向かって坂道を上がっていると、厚手のビニール袋を手に提(さ)げた生徒たちが、あちこちでアーティストの話題で盛り上がっている。最近よく耳にするのは、井上陽水の 『氷の世界』や、 吉田拓郎の 『結婚しようよ』、そして 『神田川』を大ヒットさせた、かぐや姫などのフォーク系だった。あるいは、荒井由美の高い人気は注目に値する。『ひこうき雲』などの、政治性や生活感を排除した“新しい音楽”は、新感覚のポピュラーミュージックだと評価されている。

 サディスティック・ミカ・バンド (※注18)の登場は衝撃的だった。世界に通用する日本のロックバンドと言われるこのバンド名は、ジョン・レノンが結成したプラスティック・オノ・バンドをもじっている。彼らは1973年5月に1stアルバムをリリースした。日本では数千枚程度しか売れなかったが、イギリスで発売されるとロンドンで評判となった。こうして逆輸入されたことで日本でも評価は高まった。更に、クリス・トーマス(※注19)のプロデュ―スによる、2ndアルバムは既に完成していて、後はリリースを待つばかりの状態らしい。発売されれば、この学校でも大きな反響を呼んで、ミカバンドの話題で持ちきりになるのは間違いなかった。

 こうして自然発生的に形成されたコミュニティは、数多くのアルバムを貸し借りしたり、買うべきかどうかを検討できる。これはアナログ的な無料のサブスクリプションと言ってもよい。注意したいのは、借りたレコードは大切に扱って盤面に傷を入れないこと。そして借りっぱなしにならないようにする。貸し借りというギブ・アンド・テイクを心掛けたい。

 放課後になった。今日は部活が休みだから2年4組を覗いてみることにした。そこでは、最近話題になっているライブが始まろうとしていた。それは、4組の十河紀仁(とがわのりひと)くんと、桜坂香くんによるギター演奏だった。

 教室の中央に置かれた2つの机の上で、彼らはギターを抱えて座っている。周りの机と椅子は、教室の隅に移動されている。20名ほどの生徒が二人を囲み、演奏の開始を見守っている。教室にいる生徒たちの期待感がひしひしと伝わってきた。女子生徒の表情は、ファンクラブに入会している熱心なファンのようだった。

 ギターチューニングを終えた2人は、早速カウントを開始してギターストロークに入った。最初の曲は吉田拓郎の『洛陽』だった。まるで本物のような、メリハリの効いたカッティングがカッコ良い。アコースティックギターの音は教室の壁に反響して、心地良く聴こえてくる。2人の息の合った歌と演奏は僕を虜にした。近くで生演奏を見るのは初めてだったけれど、練習を重ねると、こんなにも人の感情を揺さぶることができると知った。

 次に井上陽水の『東へ西へ』が始まった。そして3曲目の『夢の中へ』では、全員で合唱をして演奏会を締めくくった。こうして不定期開催の“夕暮れの演奏会”は閉幕した。教室ライブのインパクトは僕にとって絶大だった。まだ手に入れてもいないアコースティクギターを、人前で演奏している姿を想像しながら帰り道を急いだ。

★――――――――――――――――★

※注18 『サディスティック・ミカ・バンド』 は、1972年にデビュー。1974年発表の2ndアルバム『黒船』は、日本のオリジナル・ロックの夜明けにして最高傑作と言われ、英米でも発売された。活動中の1975年にはイギリスでツアーを行っている。同年、加藤和彦・ミカの離婚によりバンドは解散した。解散後は、これまでに桐島かれん木村カエラなどの、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。

※注19 『クリス・トーマス』は、イギリスの音楽プロデューサー。ビートルズピンク・フロイドを手掛けるなど、輝かしい経歴を持つ。エルトン・ジョンとは同級生。 彼は『サディスティック・ミカ・バンド』の1stアルバムを聴いて、2ndアルバムをプロデュースしたいと、東芝EMIに申し出る。紆余曲折の末に、アルバム『黒船』を手掛けてリリースした。このレコーディングには実に450時間が費やされている。

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第28話 マトリ

               1974年6月15日 土曜

 夜の闇が迫ると、周りの音は静まり返り、まるで時間が止まったかのようだった。此処は船舶を係留して、人や貨物の積み卸しをする埠頭。手元すら見づらい暗闇の中で、海面を覗き込むのはとても危険だ。得体の知れない何かに腕を掴まれて、海中に引きずり込まれるとも限らない。

 先日の昼休み時間だった。津々木捜査官から、「取締りの現場を見学してみないか?」と誘いがあった。「この町にある水上警察署に、厚生省の職員が派遣されたんだよ。その職員は薬物犯罪摘発の指導係で、我が警察庁の薬物銃器対策課とも関係が深い。彼は特別司法警察職員の権限が与えられた麻薬取締官だ」

「そうなんだ。段々と大掛かりになっていくよね。手をこまねいている訳にはいかないという、時間犯罪警察局の本気度が窺えるなぁ」

「そういうことだ。麻薬取締官は、俗に“麻薬Gメン”あるいは“マトリ”と呼ばれる。 小津が資金源にする取引を断つ為に、派遣されたということだ。『徹底的に根絶して、奴の息の根を止めよ!』という上層部の指令だが、それにしても頼もしい味方が参戦してくれたものだ」

 翌朝、少年の母親にはこのように伝えた。 

「今日は部活が終わったら、津々木くんの家で泊まり込みの勉強会をするんだ。明日のお昼ごろには帰って来ると思う」

・・・・・・部活を終えた夕刻、津々木捜査官の家に訪問して夕食をご馳走になると、

「じゃあ、そろそろ現場に行くか」捜査官は僕の腕を掴んで、彼の肩に回した。

「しっかりつかまっておけよ。それでは発進!」空間移動するのは初めての体験だった。

 これは、小津と対決した時に捜査官が見せた技だった。このような技術がいつ何処で、どのようにして開発されたのか知りたかったけれど、捜査官は何も知らなかった。

 空間移動が始まると、僅か数秒足らずで港湾埠頭に出現した。ところが、僕たちは危うく岸壁から海に落ちるところだった。それもそのはずで、現われた場所は岸壁のまさに際(きわ)だった。僕はバランスを崩す前に、捜査官の肩に回した腕をほどいたから助かった。でも、彼は前のめりのまま、腕を振り回しながら海に落ちていった。

慌てて手を差し伸べて彼を助け上げると、

「なんだよ、おめだげ助がって、おいはどうでもえってが? おっかながったよー、もうおめには二度と空間移動させでやらねがらな!」

「緯度経度座標の設定が甘いからこうなるんだよ」――

『やれやれだな。そのうえ、標高座標値を間違えでもしたら、もっと悲惨なことになっていた。地面の下に体が埋まることだってある。道路から首だけがのぞいている、なんてことになりかねない。そうなればホラー映画のワンシ-ンじゃないか』

 6月とはいえ、夜の海水温はそれほど高くはない。2人で岸壁に足をおろして座ると、捜査官は寒さに震えながら、服を雑巾のように絞っていた。僕はこの岬之町(はなのちょう)埠頭から、対岸の風師山の麓に見える明かりを1つ2つと数えて暇を潰した。

 今朝は、早起きしてFENにダイヤルを合わせた。その時に聴こえてきた、テリー・ジャックスの 『そよ風のバラード』 ※16 が頭に浮かんで、鼻歌を口ずさんだ。僕の背中越しには5階建ての水上警察署がある。そこには未来から派遣された“真鳥真吾”さんのオフィスが入っている。

 空気の対流で、対岸の明かりはかすかに揺らいでいる。目の前には黒く染まった海が静かに横たわる。そろそろ、津々木捜査官が待ち合わせた22時15分だった。でも、麻薬取締官の姿はどこにもない。―――何気なく海面を上から覗き込むと、底の方にぼやけた小さな光がうごめいていた。それは徐々に強く大きな光に成長した。そして突然、海中から手が出てきて僕の両足を掴んだ。僕は悲鳴を上げると、海に引きずり込まれないよう、体をのけぞらせて必死に抵抗を続けた。

 手は僕の足を伝って、岸壁の上に這い上がって来ると、ヘルメットを外そうともがいた。それは宇宙服のような大袈裟な潜水服で、外気との気圧差が邪魔をするのか、思うようにならないようだった。津々木捜査官は面倒くさそうに立ち上がると、ヘルメットを回して外してやった。すると、中から色白のイケメン男子が姿を現した。

「やあ、久し振りだな、真鳥取締官。しかし君は相変わらずの美男子だな。その王子様のような顔立ちとファッションセンスで、今も女性を虜にしているのだろう?」

「何を言っているんですか!今日はおとり捜査が功を奏して、密売船がこの埠頭に接岸したんですよ。だから、密売人から麻薬を譲り受けるタイミングで現行犯逮捕しようとしたんです。ところが張り込みの取締官たちの挙動で感づかれてしまった。彼らは服装や髪型が中途半端で、職業病とでも言いますか、鋭い眼光で人を睨む習慣がありますからね。それで奴らは、ブツを投げ捨てると海に飛び込んだのです。私は仕方なく潜水服を着て沈んだ証拠品を探していたということですよ・・・ほら、これがそのブツで・・・あれ? 密売人の船が見当たらないけど、何処かへ行ってしまったようだな・・・・・・」

 取締官は、白い粉が詰まったビニール袋を4つほど地面に並べると、潜水服を脱ぎ始めた。彼はロングヘアーに髭を貯えていて、服のセンスも抜群だった。まるで、色気のあるハリウッドセレブのようだ。津々木捜査官は、「全部で800グラムってところかな、これだと、末端価格にして2千万円は下らないよな?」

「まあ、そうですね。でもブツの押収や、密売人の検挙をするだけでは、効果は無いですから・・・・・・“泳がせ捜査”をすれば薬物の流れが把握できます。本件はあえて検挙せずに泳がせてみようと思います。そうすれば首謀者や密売組織の実態が明るみになるでしょう。一斉検挙すれば、密売収益も全て没収できますよ。私の目的は、あくまでも組織を壊滅に追い込むことなのです・・・」

「そういうことだな。君であれば、小津の支配下にある組織を摘発して、根こそぎ検挙できるだろう。小津はきっと破滅するよ。なぜなら、君は麻薬取締官の真鳥真吾だ。“マトリ”の“真鳥”だからな、“真鳥”が“マトリ”なのだから史上最強なんだよ!」

『まったく、津々木捜査官って人は・・・自分が考えたフレーズがよほど気にいったのか、ひとり悦に入っている。どうでもいい事を、何度も繰り返すところが、まだまだ子供なんだよなー』

「それじゃあ、今日の仕事も終わったことだし、私はこれからラウンジパーティに行かせてもらいます。トランス状態で踊る楽しさを一度覚えてしまうと、止められないですよ。そこの坊やもついてくるかい?遊び方を教えてあげよう、どうだい?」

「おいおい、おい!遊ぶのもほどほどにしておけよ。まさか押収した薬物をくすねたりしてないだろうな?マトリの中には、おとり捜査で得たブツで中毒患者になる職員がいると聞く。そういうのを“ミイラ取りがミイラになる”って言うんだ。くれぐれも人生を大切にしろよ!」

「分かっていますよ、私はそんなに馬鹿ではありませんから心配無用です。じゃあ、そろそろ行かないと友人が待っていますから・・・津々木さん、それではまた連絡しますね」

 他人が近くでこのやり取りを見ていたら、中学生が大人を説教しているようにしか見えなかっただろう。真鳥さんは背が高くスタイルは抜群だった。これだとモテぶりも半端ないに違いない。

「でも、真鳥さんも捜査官と同じでアバターを使っているんでしょう?実の姿はどうなのかな?」

「それがな、彼のアバターは本人と寸分違わないんだよ。年齢や姿を本人そのままにアバターにしてタイムリープしているんだ。少し変わった男でな、自惚れ屋さんなんだよ」

「どういう経歴の人なの?」

「確か法学部を卒業して入省している。年齢は26歳だから私より2歳下だな。職場では将来有望な若手のホープなんだよ」

「真鳥さんは僕の1つ上か――タイムリープやループなど、時間移動をする人たちが多くなると、見た目と年齢が釣り合わない人が多くなるね。でも真鳥さんの性格上、そこはブレたくないんだと思う。例えば見た目は10歳の少年だけど、実は80歳だったりする。そういう人に接すると対人知覚が混乱してしまいそうだよ」

「それはそれで面白いじゃないか、十人十色と言うだろう」

『???・・・津々木さんは、四字熟語が好きなようだけど、使い方が間違っているよなー』

★――――――――――――――――★

※16 『そよ風のバラード』(原題:Seasons In The Sun)は、カナダ出身のテリー・ジャックスが1973年12月にリリースした曲。ビルボードチャートでは3週連続で1位を獲得した。


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第27話 小説家

               1974年5月19日 日曜

 4月22日に誕生日を迎え、25歳の中学2年生になった僕は、唐戸桟橋のある街までバスに揺られていた。唐戸には市庁舎があるから、人の往来が多くバス路線の分岐点になっている。桟橋からは、対岸の門司港まで連絡船が頻繁に行き交う。

 バスの車窓から見る、みずみずしい若葉は、道沿いの街路樹をつややかに魅せる。 遠くの山々では、たくさんの草木が芽吹く。青空に向かって萌え立つ様子は、初夏ならではの風景で、何か良いことが起こる予感さえ抱かせてくれる。

 唐戸停留所で降りると、バスを乗り換えることになる。その前に、停留所そばにある“旧英国領事館”を見ておきたかった。それは、現存する国内最古の領事館用途の建築物で、2階建ての赤い煉瓦造りだった。周辺にも幾つか立つ、レトロな洋館との相乗効果で、領事館一帯は、関門海峡を望む異国情緒的空間を演出している。

 ひとまわり見て回ると、バスを乗り換えて、海峡に沿った道を北東方向に進んだ。 暫くして、前方に白い大きな吊り橋が現れると、バスは“みもすそ川停留所に停車した。車窓から人道トンネル入口のある広場が見える。眼の前に広がる海峡一帯は、平安時代末期、1185年に壇ノ浦の戦いが繰り広げられた場所だった。そして先月の4月22日、僕の誕生日には、アンダーワールドの小津部隊と、津々木捜査官率いる時間犯罪警察局のメンバーがここで対峙した。合戦によって、栄華を誇った平家は滅亡に至ったけれど、しぶとい小津部隊は、平家のように滅亡するのだろうか?

 バスは再び発車すると、海峡沿いの道を更に進んだ。カーブを幾つか曲がったところで、右手にスケートリンクを備えたレジャーランドが見えてきた。隣接して市立水族館があり、海に突き出た半島の小高い山頂には、シロナガスクジラをモデルにしたモニュメントが立っている。その、尾をはね上げたクジラの姿は、体長が25メートルあって、重さは130トンという鉄筋コンクリートで作られたものだった。

 櫛崎(くしざき)城という昔の城跡に、このクジラ館は建てられている。櫛崎城は海峡を望む要衝として、周防灘に突き出した半島の高台に築かれた城だった。城のエリアは、北側の豊功(とよこう)神社にまで及んでいる。現在は海岸側に住宅が点在して、国道側には広大な敷地の県立高校がある。

 少年の父親は、図書館で本を借りてくれるだけでなく、僕が好むような本を書店で買ってきてくれる。最近の僕は単行本や文庫本だけでなく、小説現代文藝春秋などの、月刊文芸誌を読むことが多くなった。なぜなら、新進気鋭の作家達が描く世界が、早く体験できると思ったからだった。

 1970年代という時代は、個人情報の取り扱いが驚くほど緩やかだった。文芸誌の著者紹介欄を見ると、当たり前のように本名や現住所が掲載されている。電話番号だって調べればすぐにわかる。しかしそうであっても、推しの作家が同郷の人だと知れば、思い入れが深まることだってある。

 水族館前を過ぎて、次の県立高校前でバスを降りた。横断歩道を渡って、高校の校舎とグラウンドを分けるように通る一本道を歩いた。高校の敷地を過ぎたあたりには、小高い台地が南北に横たわっている。櫛崎城の石垣跡を通り過ぎて左に曲がり、坂道を上がれば豊功神社が見えてくる。

 此処からは、手前に干珠島(かんじゅしま)、その先に満珠島(まんじゅしま)という、2つの小さな無人島が見える。この2つの島は忌宮(いみのみや)神社の飛び地境内で、立ち入ることはできない。ややこしいことに、どちらが満珠でどちらが干珠なのかはっきりしていないという。だから、地図によって表記が異なっている。地元の人は「満珠・干珠」と併せて呼んでいて、特に区別をしていないらしい。

 神社を後にして、台地の南側に点在している住宅エリアに向かった。玄関の表札や郵便ポストを頼りに15件ほど回っただろうか、赤色屋根の一軒屋にたどり着いた。海岸から切り立った崖の上にあるその家は、玄関から白い砂浜を見おろし、海峡を一望のもとに見渡すことができた。

 初めての訪問は、大胆にもアポなしだった。雑誌に載っていた住所を頼って来たけれど、先生が在宅されているとは限らない。いらしたとしても、どこの馬の骨ともわからない者に会ってくれるという保証はない。

 玄関横に赤いポストが掛けられている。そこには油性マジックで『長谷川敬』 (※注16) と書かれていて、その下にはカッコ書きで『赤江瀑』 (※注16) とあった。僕は深呼吸を2度ほど繰り返すと、ドアをノックした。

「ごめんください」そしてもう一度「ごめんください!」

・・・・・・廊下を歩く足音が近づくとドアが開いた。

「どなたですか?」

「赤江先生でいらっしゃいますか? こんにちは、私は摩耶浩之といいます。先生の作品を読んで、どうしてもお話が聞きたいと思いまして・・・突然の訪問で、はなはだ失礼だと存じますが、少しお時間を頂けないでしょうか?」

「君は見たところまだ中学生くらいのようだが、私の小説を理解できているということかね?・・・・・・長くは話せないが、まあ、お上がりなさい」

 応接間に通して頂いたあと、僕はまだ中学2年生で14歳ではあるけれど、先生の作風に興味を惹かれていることを伝えた。小説現代野生時代小説新潮などで先生の作品を読んでいることを話した。華やかで、巧みな進行が作り上げる虚構(※注17)の舞台。 その発想の原点はどこにあるのか、ありがたいことに詳しくお聞きすることができた。

 先生は、ラジオドラマの脚本を執筆するなど、本名で放送作家を続けられていた。 その後、4年前の1970年にペンネームを赤江瀑とすると、小説家デビューされて現在は41歳になる。

「しかし驚いたね。君の年齢で私の作風をここまで考察しているとはね。若い頃、映画監督に憧れて東京の大学に入学したが、そのうちに詩や小説など個人的な芸術に方向転換したから、大学を中退して故郷に戻ってきたのだよ。此処は私が戻って来るべき場所だったからね」

「先生の原風景が此処にあるということですね。実在する風景が心象風景とも合致している世界なのでしょう。そうなれば、身の周りの風景全てにデジャヴュ(既視感)を経験されているのではないですか?」

「そうなのだ。この海峡の町で育った私は、遠く離れたとしてもいつかは回帰すると思っていた。海峡を見渡せば満珠・干珠島が見える。豊功神社や満珠・干珠は私にとって気場(パワースポット)だよ。近くには私が通った県立高校もある。体育の時間には、手前の干珠島まで、1キロメートルはあるというのに泳がされたものだ。これだけ潮流の早い場所でよく流されずに、命を落とさなかったと思うよ。そんな経験なども含めて、此処で目にするもの全てが私の世界であり、小説の舞台でもあるのだよ。

 そういえば先月のことだったが、海峡を眺めていて偶然に目にしたことだが、うつ伏せになった人が、壇ノ浦から干珠島の方角へ流されていた。その人は幸いにも救助されたようだったが・・・」

「先生は虚構の扱いについてどのようにお考えですか?僕は、必ずしも虚を実に書き上げるだけでは無いと思うのです。単なる技法ではなく、もう少し多面的にとらえるべきだと・・・」

 先生は目を閉じて腕を組んだまま暫く沈黙した。その後、的確な推察を持って話を始められた。

「君は中学2年生だと言っていたが、この世界の住人ではないだろう?例えば時間旅行をしてきた未来人であるとか・・・いずれにしても私には、君が14歳の少年だとは思えない。異なる環境で人生経験を重ねてきた人間のように見えるよ」

「実は単刀直入にお聞きしたかったことですが、先生は時間跳躍すなわちタイムリープを経験されていませんか?」

「――――――少し動揺してしまったよ。初めて見破ったのが君になるからね。それについては時間を掛けて話さなければならないだろう。興味があれば改めて私を訪ねて来なさい。訪ねる前には電話を入れるといい」

 僕は丁重にお礼を言い、再会の意向を告げて家路に就いた。やはり勘は当たっていた。先生の小説から滲み出る、緻密に構築された虚構の世界。そこには、時間移動をした者のみが知る匂いがあった。

 それにしても時間移動をする人が、思っていた以上に多くいるのには驚いた。過去には、時間の定義を覆した物理学者がいたが、彼は 『時間は実在しておらず、人間の幻想にしか過ぎない。時間は現在から未来へと流れるのではなく、過去・現在・未来が等しいものとして存在する』という主張をしていた・・・考えるほどに何が何だか分からなくなってくる。

★――――――――――――――――★

※注16 『赤江瀑(あかえばく)、本名:長谷川敬(はせがわたかし)』(1933年–2012年 79歳没)は、山口県下関市出身の小説家。耽美的、伝奇的な作風で熱烈な支持者を持つ。1970年、『ニジンスキーの手』で小説現代新人賞を受賞。『オイディプスの刃』で角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で泉鏡花文学賞を受賞した。また、歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説、京都を舞台にした作品を数多く発表した。

※注17『虚構』事実でないことを事実らしく作り上げること。文芸作品を書くにあたり、作者の想像力で、現実にあったことのように真実味をもたせて書くことを言う。