tsurusoの小説

鶴海蒼悠のSF小説

星霜に棲むという覚悟〜Time Without End〜

第6話  もう1人の異邦人

           1973年7月3日  火曜

 朝から青空が広がる。今日の3・4時間目は美術で、学校の敷地内で風景写生をする。帽子を被り、スケッチブック、鉛筆、水彩絵の具、折りたたみ椅子、そして水筒を持って好きな場所を探す。ただし4人での行動がルールになっている。偶然にも右隣の席に座る娘が同じグループに入っていた。それは1列目の後ろから2番目の生徒で、相川詩織という。

 相川さんは物静かで大人びている。別の表現を借りれば “気品をまとった女性” とでも言うべきだろうか・・・口数が少なく謎の多そうな彼女のことが、登校初日から気になっていた。

 校庭の東側にあるプール近くに場所を決め、椅子に座って鉛筆を手に取ると下書きを始めた。僕の左側には少し離れて彼女がいる。下書きを40分ほどで終えて、絵の具を塗る準備を始めた時だった。相川さんは顔を上げると、遠くを見つめながら、小さな声で言葉を発した。

「先週来たの?」・・・・・・僕はそれが何のことか分からず 「えっ?」と言ったまま言葉が出てこない。すると彼女は、より強めの声で「だから、跳んだでしょ?って聞いてるのよ」と続けた。ようやくその意味を理解した僕は、ひどく動揺して顔を伏せるとそのまま固まってしまった。

 他の生徒に聞こえないよう、彼女は小声で更に続けた。「私には分かる。『タイムリープ』したでしょ? だってそういう顔してるから・・・摩耶くんとは小学5年から同じクラスだったし、一緒にアイススケートに行ったりもしたな。ずっと彼を近くで見ていたから、いくら取り繕っても知れるってこと。いったいあなたは誰なの? 私を憶えていないようだから、未来からきた摩耶くんじゃない!」 

 13歳が発する言葉とは思えなかった。でも彼女の言う通りなのだろう。過去の自分にタイムリープしたとしても、物心ついた頃から跳躍を開始した時点までの記憶は残されている。過去に戻ればそこから再び次の人生を過ごすことになる。以前の記憶が上書きされたり消えることはないと言われている。すなわち人生1回目の記憶と人生2回目の記憶は共有されるということ。そうであれば辻褄の合う言動が楽に出来るし、矛盾が生じることを気にせずに日々過ごすことができる。

 ところが僕の場合は、他人の意識を押しのけて体に入り込んだ。だから摩耶浩之の記憶を持たない。ましてや1973年6月29日以前の記憶などあるはずもない。『私を憶えていないようだから』確かに彼女はそう言った。もしかすると相川詩織はタイムリープを経験しているのではないだろうか?

「そろそろ私の疑問に答えてよ」彼女は絵筆を走らせながら僕に問い詰めた・・・・・・

 少し間を空けてから 「相川さんはいつの時代から跳躍したの?」試しにおそるおそる聞いてみた。

「あなたが答えたら話すわよ!」―――僕はなかば観念したように話し始めた。

「そうなんだ。君の言うとおり僕は摩耶浩之くんではない。先週金曜日の夜、2043年から突然跳躍したんだ。原因はまだ判明していない。気が付くと彼の体に僕の意識が入り込んでいた。僕は24歳の研究員だったけれど、それはおそらく僕がこの時代には生まれてなく、他人に入り込む他なかったからだろうと推測する。元の世界ではこういう例を聞いたことがない。どう対処すれば良いのか、とても悩んだ。その結論はとりあえず摩耶くんに成りすますことだった。目立たず疑われないように注意して、この世界で生き延びようと・・・・・・」

「そうだね、それは賢明だった。疑われるようになれば、この世界にあなたの居場所は無くなるからね。それでもまだ脇が甘いな。他人を装うことがどれだけ難しいか想像はできるけど、もっと頑張らないとね・・・・・・

・・・・・・あなたにひとつアドバイスをあげるわ。今のあなたは13歳の中学1年生なの。この世界では24歳の研究員じゃない。なのに口から出てくるのは中学生らしからぬ言い回しばかりなのよ。『何者なのだ』とわざわざ疑われることを自ら見せてどうするの!とにかく言動には気を付けることよ」

 4時間目も後半になろうとしている。早く絵を仕上げないと提出に間に合わなくなる。彼女の絵はほとんど仕上がっているようだった。僕はというと完成までにもう少し時間を要する。だから今は、彼女の話を聞きたいという衝動を抑えるしかなかった。

「時間がないから絵に集中しようと思う。でも教えて欲しいことがまだ残ってる。改めて続きを聞かせてくれる?」

「私が知っていることならね・・・でも話せないこともあるのよ。それにあなたが 『タイムリーパー』でないことが分かったから安心したんだ・・・・・・ではまた話しましょう」

 完成させた水彩画はなんとか提出に間に合った。美術室から教室に戻った僕は、弁当箱を開いて少しずつ食べ始めた。隣の席では相川さんが静かに食事をしている。それにしても僕は彼女との会話に大きなショックを受けていた。跳躍したことを他人に知られるなんて考えもしなかった。彼女は他人を演じている僕を見破った。同時に僕の自信はどこかに行ってしまった。この先が不安でしかない。彼女は敵なのかそれとも味方なのか?―――僕は平静を装って箸を持つけれど、小刻みに体が震えるのを止めることができない。

彼女はこうも言った。『あなたがタイムリーパーでないことが分かって安心したよ』・・・いったいこれはどういう意味なのだろう? 元の世界ではタイムリーパーの定義は曖昧としていた。タイムリープをした人をタイムリーパーと表現することもあり、『リープ』 と 『リーパー』は同義とみなされる。でもリープとリーパーを明確に使い分けるとしたら、偶然ないし制御できない跳躍のことをタイムリープ。制御が可能で、意図した結果が自由に得られる跳躍をタイムリーパーと定義できないだろうか?

 元の世界では制御可能な跳躍の解明が進められている段階だった。実現する可能性が高いと言われても完成した訳ではない。そう考えるとリープとリーパーを使い分けて話す彼女は、2043年よりも後の人間にならないだろうか?そして彼女自身はリープなのかリーパーなのか?彼女はなぜ僕がリーパーでなくて安心したのだろう?考えるほどに答えは見つからず、頭の中の混乱はひとつも収まらない。

 彼女は僕が知らない何かを、多くの事を、それも深く知っているように思える。早く話を聞きたくても、周りに聞かれることだけは何としても避けなければならない。その機会が早く訪れると良いけれど、いつになるのかと思うともどかしさばかりが募る。

異邦人は僕だけだと思っていた。ところが別の異邦人が隣にいて、次の授業の教科書を開いて予習をしている。この異邦人は、これから僕にどのような影響を与えるのだろうか?